フォーム・ボタン・メニュー

pcsm化(パソコン・スマホの共用化)もだいたい大まかなところは「型」が決まってきた。後はほとんど単純手作業。
これが決まると、次の問題はファイル検索について、*.html*.cgi(または*.php)を、分離型にするか一体型にするかである。

今までの検索ツールの多くは分離型である。パラメータ入力フォーム(*.html)と検索実行プログラム(*.cgi/*.php)を分けるパターンは、どちらもそのソースが簡明になる、ということは作るのも簡単になるというのが最大の利点である。フォームを作るだけ、与えられたパラメーターを処理することだけ特化すればよいからである。
ただ、この分離型は、ちょっと「凝った」小細工がやりにくいという欠点がある。たとえば、検索する前にパスワードを入力して、それをクリアした後に検索をするということが難しい。そういうことが不要な場合は、この分離型は今でも使える有用な方法である。

今回は、今までと違って一体型の検索ツールを作ってみよう。
要するに、自分だけ(または一部の者だけ)が使えればそれでよい、他人に使わせる必要はない、というものが必要になったからである。これはほとんど作っていなかった(その必要性がなかった)。しかし、今ここでそういうものを一つ作っておけば、あとは流用(または大量生産)することも簡単になるはずである(省力化&思考経済)。
  1. 起動時にパスワード入力画面を出す。
  2. その後、ファイル検索の画面を出す。
この場合、最低限必要なボタンの数は2個。検索の「取消」ボタンをつけると3個である。
1つのファイルの中に、(1)の場合のために1つのformタグ、(2)の場合のために1つのformタグを作る。

フォーム(formタグで作るもの)とボタン・メニューのパターン。
いろいろな動作をする多数のボタンを含むツールのひな型としては今のところ次の4つの基本パターンを用意している。どれもストレートにそのままは使えない(当然)。この場合に使えそうなものはFig.1Fig.2の変形パターンになるだろう。状況に合わせてケースバイケースで修正する必要がある。

Fig.1
formタグは1個。

Fig.2
formタグは1個。

Fig.3
formタグは5個。

Fig.4
formタグは5個。

- 2021/05/11 -


墨汁一滴

ワケのわからない緊急事態宣言が延長(追加)されているが、昨日久しぶりに近くの本屋に行った。多くの人は最低限のマナーとしてマスクはして、おとなしく本を見ていた。本屋の入り口にはあまり意味のない手押し式のアルコール噴霧器が置いてあり、静かに、滞留時間は短く、などの貼り紙がしてあった。中に入ると、いきなりオヤジの大声が聞こえてくる。本屋の中にある椅子に座って携帯電話で一人のオヤジが大声で、「飛沫」を飛ばして話しているようである。コロナの予防接種の注射をどうするかということを老人どうしで話していることが丸聞こえである。そんな話はこんなところでするべきことか(という常識もないようである)。たぶん行くところがないので、本などには興味はないが開いていた店にきた。そんな程度だろう。昨今のヒマ老人のマナーの悪さはつとに指摘されているところであるが、顰蹙(ひんしゅく)を買うことは確かであろう。墨汁一滴でも水は濁る。こういう下品な老人は世の少数派であろうが、それがもたらす「悪」効果は多数の人に与える。もって他山の石とすべきところである。自戒。
- 2021/05/10 -


不要・不急

とかく話題を提供することの多いゴールデン・ウィークも終わった。こういう時期にイベントを盛り上げて商売する第三次産業・サービス業には今年も「白けた」期間だったかもしれない。なんせ人がいなければ商売にならないからである。しかし、静かなゴールデン・ウイークは歓迎すべきことである。コロナ禍が終息してもかくありたいものである(多分そうはならないだろうが)。

また「不要・不急なんたら」というフレーズも政治のボス老人 ― その多くは不要・不急の典型である ― たちからよく聞いた。しかし、極端にいえば、今日の晩飯さえも「不要・不急」だといえる。別に今日食べなかっても明日死んでしまうことはほとんどない。「それを今しなければすぐに何か重大なことが起こるのか」と問われれば、そんなことはない。われわれの私生活はほとんどが「不要・不急」の連続で構成されているともいえる。にもかかわらず、かくも「不要・不急」を目の敵にされると、われわれの私生活は逆に立ちいかなくなることであろう。
「禁止」は「わたくし」を守り、「わたくし」を主張するためにある。これがヨーロッパの個人主義の基礎にある個人というものの正体であろう。日本での「禁止」は公共を守り、公共を主張するためにある。昔は公共に浸透し、公共と共生していた「わたくし」は、しだいに片隅へ追いやられる。
- 多田道太郎「私生活」(桑原武夫「世界の歴史 24 今日の世界」(河出書房)112p) -
と、同時に、この「不要・不急」がいかに経済の活性化に寄与していたかも、コロナ禍で浮き彫りにされてきた。これは昔から経済学の世界では「ムダの制度化」と呼ばれてきた現象でもある。いずれにしても、そう「不要・不急」をたたきなさんな、お飾りの骨董品のような政治屋さんたちよ、ということである。
- 2021/05/05 -


頭の体操

pcsm化に際して、気がついたところはなるべく今風(いまふう)なパターンに修正している。そういうところを探すのもボケ防止のアタマの体操にはなる。
なお、以下では「name」属性は必須であるがダニ対策の観点からここでは省略している。
  1. 以前のパターン
    <input type="text" size="18" value="">

  2. 現在のパターン
    input[type="text"] {width:150px;}
    <input type="text" value="">
パソコンではほとんど差がないが、スマホで見ると(2)の方が1~2mmほど長く見える。size=**とwidth:**pxの関係が不明だから実際にやってみて、どう見えるかぐらいしか判定のしようがない。

なお、ページ内にテキストボックスが多数ある場合は、それぞれにidを設定してidによる指定でカスタマイズすることになる。
SAMPLE
input[id="txtb1"] {width:150px;}
input[id="txtb2"] {width:200px;}
input[id="txtb3"] {width:80px;}
<input type="text" value="" id="txtb1">
<input type="text" value="" id="txtb2">
<input type="text" value="" id="txtb3">

関連
このパターンの使用部分。
pcsm: ipc2
pcsm: photo
pcsm: sjk2


UTF-8の検索

pcsm化はパソコン・スマホの共用化ファイルをUTF-8に統一することとセットである。ところで、UTF-8ファイルにしても検索で文字化けが発生する例がある。今日たまたまたわかった例では「-」(全角のマイナス)は文字化けするようである。これはあくまでも検索スクリプト(*.cgi)の実行結果だけの話であって、通常ファイルの文字化けのことではない。

SAMPLE
【 4 】 2019年05月 (No.0233)
(FileName) tavern/sjk/sj2/sjk_0233.html
1.パソコン系ゴミ本??篠崎愛はどこへ行った

【 4 】 2019年05月 (No.0233)
(FileName) tavern/sjk/sj2/sjk_0233.html
1.順番の数え方??先頭は0それとも1

この原文は「パソコン系ゴミ本-篠崎愛はどこへ行った」、「順番の数え方-先頭は0それとも1」である。
全角の「-」(マイナス)が検索時には文字化けするようである。以後、これは「区切り」の記号としては使わない方がいいかもしれない。
「パソコン系ゴミ本/篠崎愛はどこへ行った」、「順番の数え方/先頭は0それとも1」とでもするか。

ちなみに、その部分をいわゆる「よこぼう( ― )」にするとUTF-8では文字化けはしないようである。なお、前後のスペースはこちらが勝手に入れたものである。

SAMPLE
【 4 】 2019年05月 (No.0233)
(FileName) tavern/sjk/sj2/sjk_0233.html
1.パソコン系ゴミ本 ― 篠崎愛はどこへ行った

【 4 】 2019年05月 (No.0233)
(FileName) tavern/sjk/sj2/sjk_0233.html
1.順番の数え方 ― 先頭は0それとも1

「-」(全角のマイナス)

「―」(よこぼう)

検討
確かなことは言えないが、この文字コードをみると全角のマイナスの「FF0D」はUTF-8にはエンコードしにくい形をしている(ように見える)。それで文字化けがおこったのではないかと推測される。
- 2021/05/01 -


まだ生きていたか

変異型のコロナ禍の真っただ中にいる大阪の知人から連絡があった。まだ生きていたか(笑)。その話によると、今はコロナとは関係のない病気になっても行く病院がないという。これがちょっと重いものなら、すなわちそれは命にかかわる事態になるという。今の事態にかなりの危機感を感じているようだった。生きるか死ぬかの時にでも「不良国民」はトリアージで選別されて放置されるだけだろう。年寄り、一人暮らし、年金暮らし、などは真っ先に切り捨てられることであろう1)。今さら医療基盤の脆弱さ ― その淵源は日本(大阪)維新の会の橋下府政下で推進されたのだが ― を嘆いてもはじまらない。大阪人は維新が大好きである。ある意味では自業自得である。それはともかく、この期に及んではもう予防に注力するしかないだろう。ひとたび体の変調を感じれば、もうお陀仏である。なんという恐ろしい時代になったものか。
NOTES
1) 読売新聞オンラインによると「「高齢者は入院の優先順位下げる」大阪府幹部が保健所にメール…府は撤回し謝罪」(2021/04/30)ということがあったという。世間の反響が大きかったために撤回されているが、役所側の真意がにじみでているようである。
- 2021/04/30 -


緊急事態

緊急事態宣言の効果・効能はどの程度あるのかは知るよしもないが、近くの大型のショッピングモール(イオン)に行ってみた。食品売り場以外は原則休業しているとアナウンスしていた。それでもいくつかの店は営業していたが、人の出はいつもより格段に少なかった。なにがしかの「効果」は出ることであろう。しかし、過去の例を見るまでもなく、指定の期限がすぎると(または数日たつと)またいつもの日常が戻ってウイルスも再活動してくるはずである。

また、こういう時は「お上」が号令をかけている以上、図書館・博物館などの公立の公共施設はほぼ休みになる。喫茶店などの民間業者も休業しているのかどうかわからないので、事前に電話で聞いてみると、店は開けているという。30分後に行くからと連絡しておく(予約席と書かれたプレートを置いてくれる)。この店は持ち帰り専業に切り替えたわけではないようである。それにしても、この程度の注意喚起的な「ゆるゆる」の規制が、不自由さの中の自由というやつでガマンできる範囲になる。それで万事うまく運べば世話はないが、そんなにうまくはいかないのがアウト・オブ・コントロールのウイルスの世界である。
- 2021/04/26 -


ことあげ

三島由紀夫の自殺(1970/11/25)から50年以上たつ。真継伸彦の「宗教と政治」という論稿の中の一節に、三島の神格天皇制復活肯定論への批判として出てくるフレーズで次のような部分がある。
神道は一般に、神霊や祖霊と人間との交流の存在という、不条理な教義を説いている。しかし神道の本質は「ことあげ」しないことにあって、仏教やキリスト教のように明確な宗教哲学の創出によって教義の普遍化を志すことも、異民族への伝道によって教義の普遍性を験(ため)すことも、みずから避けている。だから神道は、仏教やキリスト教ほどの普遍性をもともと持ちえず、事実そうであるように、民族宗教の範囲にとどまらざるをえない。このように教義の普遍化をこばむ宗教が、政治と結びついて国家の意志となることは、ただただ危険である。
- 真継伸彦「宗教と政治」(岩波講座「文学 7 表現の方法4 日本文学にそくして下」282~283p) -
「ことあげ」をしないということは、他人に対して「説得」という動作も欠くことになり、布教(普遍化)をめざすこともない、したがって世界宗教にもなりえないということになる。言ってみれば、以心伝心、日本人ならわかるだろうこの気持ち、という程度のことである。それは狭い限られた範囲でしか通用しないものである。

ところで、「ことあげ(言擧げ)」とは、ことばに出して言い立てること。特にとりたてて言うこと。揚言である。
葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国しかれども言挙げぞ我がする (万葉集・一三・三二五三長歌)
上代においては「ことあげ」はタブーとされていた。あえてその禁を犯すのはよほどの重大な時に限られた。「神(かむ)ながら」は「かんながら」ともいう。「神のお心のままに」「神でおありになるままに」「神代からそのままに」という意味である。そして、万葉集の上の部分は、「日本は、神のお心のままに、口に出して言い立てることをしない国である」という意味になる。これが「ことあげせぬ国」という意味になる。

さて、「神のお心のままに、口に出して言い立てること」をしないでも理解できるようなものとは何か。これがわかったようでわからない。以心伝心、阿吽(あうん)の呼吸、などのようにつかみどころがないのである。
 数ある中から、坂口の問題にしていた「日本的モラルの確立」に関するものに眼をつけると、四二年十一月号収載の吉田三郎(興亜院錬成官)のものがまずあげられる。
日本的なるものの探求は哲学的思弁や古典に対する西洋流の解釈から生まれるものではなく、肇国の精神を体現した先哲の業績と著述を通して端的に感得せられるものである。
 今ではもう辞書にたずねなければ意味を知る人も少ない「肇国の精神」とは、神武天皇が国を開いたその精神ということだ。つまり日本的なるものは、その存在の確実性も定かでない神話中の仮想の天皇の開国精神の体現が最も重視されることになる。そしてそれは取りも直さず神武以後にも引き継がれたであろう歴代天皇の精神をも包含して以下のように展開されていた。 ― 「日本世界観の把握には、1、御歴代天皇御統治の一貫せる御精神をそれぞれの時代に即して奉戴するという事」(伊藤栄四郎、東高師助教授「日本世界観の体得」、四二年十月号)
- 兵藤正之助「戦争をどう受けとめ、どう生きたか」(岩波講座「文学 7 表現の方法4 日本文学にそくして下」249p) -
というふうにかかれても、やはりよくわからない。要するに、「盲目的な尊皇愛国主義、箸にも棒にもかからぬ偏狭で非合理的な日本精神主義」(同書249p)、「「日本的」なるものはこうした尊皇主義を軸としたものが主流を占め」(同書250p)ていた。つまるところ、漠然としていて明確ではないのである。

ところで、少し前に手に入れた雑誌「世界」2021年5月号をパラパラと見ていたら、寺島実郎「日本と天皇の始まり」というタイトル(長いので短縮)のものが目についた(同書270p以下)。ここでも「ことあげ」について書いていた。グッドタイミング。ちょうどこういうことについて考えていたところである。
石川啄木に「ふるさとの 山に向いて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」という歌があるが、この「言うことなし」こそ神道の本質に関わる言葉といえる。
- 寺島実郎「日本と天皇の始まり-天武・持統期の革命性」(岩波書店「世界」2021年4月号271p) -
「言うことなし」が「ことあげせず」に似ているからといって、石川啄木のこの歌が神道と直接の関係があるとは思えない。しかし、言いたいことはだいたい理解できるところである。
沈黙を美徳とする日本社会の空気は日本人の意識に埋め込まれた神道的価値の影響なのかもしれない。それが、「曖昧なまま物事を放置する」という日本人の思考の壁になっているともいえる。
- 寺島実郎「日本と天皇の始まり-天武・持統期の革命性」(岩波書店「世界」2021年4月号271p) -
日本人の思考の多くの部分に「神道的思考」があるのではないかということは常々思っていたところである。この論稿を読んで、宗教や神道の世界に没入したいという人は別にして、それらを批判的に考えてみたいというと場合、似たような過程をたどるものだと感じた次第である。
- 2021/04/21 -


誤常識

コロナの変異株の感染力は強いらしい。それで以前にもまして「マスク」着用がいわれるようである。マスク、マスクと言われても、ドラッグストアなどで売っているようなものにコロナウイルスを遮断する効力などはないだろう。相手は超微細なウイルスである。マスクのすき間からいくらでも侵入してくる。防禦の役には立たない。こんなことは少しは常識がある人間ならだれにでもわかっているはずのことである。
NEWS BOX
互いにマスクしていたのに…勾留中の男感染、取り調べ捜査員の感染判明で検査
福岡県警は17日、逮捕後に福岡県筑後地区の警察署に勾留されていた40歳代の男が新型コロナウイルスに感染したと発表した。取り調べを担当した捜査員の感染が判明し、PCR検査を受けていた。
- 読売新聞2021/04/18 -
マスクをしていれば安全・安心だという誤解というか誤常識(むしろ非常識)も相変わらずなかなか根強い。自分がマスクをするのは、ただただ他人に脅威を与えないためである。そんなものはウイルス対策には何の役にも立たないから、個人的にはマスクなどしたくはない(人がいない所では当然マスクはしない)。しかし、そんな無意味なものでもマスクをしていれば他人は少しは安心するだろう。ただ、それだけのためである。
- 2021/04/18 -


コピーの落とし穴

折を見てPCSM化(パソコン・スマホの共用化)をやっている。今までのパソコンでの色々なパターンをスマホで実現できるかが問題である。通常のテキストばかりのものはほぼ問題はないが、それ以外のものが混じっている場合に、ハタと行き詰まることがある。

昨日は、JavaScriptのフォームが入ったパターンである。旧来のパターンと同じものがスマホ用に再現できない。tableが横に2つ並び、それぞれを横スクロールさせるものだが、これがなかなか厄介である。そこで、tableを縦2つに変えてみだが、どうも表示が再現できない。tableの外側の枠線が切れてしまうのである。


あれこれいろいろ触りまわってやっと原因がわかった。両立しない2つのスタイルを設定していたのがトラブルの元だった(詳細省略)。そこで、この横幅ならスマホの横幅に収まるのではないか。となると、横スクロールは削除しても問題はないだろう、ということで一応は「まとも」になった。


ついでに、ここで使っているフォーム(formタグ)とJavaScriptはかなり古いものなので、この際に修正しておくかと手を付けたのがまた「ドロ沼」だった。もちろん古いままでもちゃんと動作はする。しかし、今の視点から少し書き換えておこうというだけのつもりだった。

ところが、ウンともスンとも動作しない。*.jsファイルを読み込んでいるのかいないのかもハッキリしない。何の反応もない。Microsoftの改悪路線のおかげで、こういう仕様になっていることは前から気がついていたが、ここまで不親切だとは。要するに、*.jsファイルのどこか1カ所にでもミスがあればそのファイル内の全関数が一切動作しないということである。それで無反応になる。これはIE, Edgeともに同じ。製造元が同じだから当然か。

そこで、Edgeの右上にある「…」→「その他のツール」→「開発者ツール」を見ると次のような画面が出てきた。


この下から3段目のところに「Unexpected token '=='」というのがある。「==」はJavaScriptでも当然に使えるはずで、別に問題はないと思っていた。これを使っている部分は、たとえば次のようなところで、これに問題があるとは思えない。

SAMPLE
if(isNaN(vwt)==true)

それ以外には使っていないはずだが、、、と思って念のためもう一度見てみたら(実は10回以上見ているのだが)、意外な所でこれが「使われていた」ことがわかる。

SAMPLE
var bmi2==Math.round(bmi*100)/100;

これでは動作しないはずだ。完全な間違いである。しかも超初歩的なものである。こんなものを書くはずがないのだが、、、。しかし、なぜこれが生じたのか。修正前の部分は次のようなものだった。

SAMPLE
obj.bmi.value=Math.round(bmi*100)/100;

これは今の点からみるとちょっと古いので、2行に分けようとしてコピーしたときに「=」が余分に紛れ込んだものである。

SAMPLE
var bmi2=Math.round(bmi*100)/100;
idBmi.value=bmi2.toString(10);

var bmi2=」まで書いて、後は古いものと同じだから「Math.round(bmi*100)/100;」をコピーしたつもりが、その前にある「=」を含んだ「=Math.round(bmi*100)/100;」をコピーしてしまったというわけである。自分では「==」などになっているとは思ってもいないから、これはなかなか気がつきにくい。こういう原因の探求にまる1日かかってしまった(笑)。

それにしても、Edgeのアラート(メッセージボックス)のタイトル「このページの内容:」のトンチンカンなことよ。こんなものがのっそりと上から出てくるのである。IEのほうがまだ少しマシである。どんな神経なのか、Microsoft。


メモ
この「このページの内容:」というタイトルは、prompt, confirm, alert に共通である。「布団(ふとん)も座布団(ざぶとん)も同じ」という発想である。また、このウインドウは動かせない。ウインドウの下に何が書いてあったのか、それを見ようとしても見えない。JavaScriptに対する冷遇(敵意)がよく見えてくる。
- 2021/04/13 -