誤常識

コロナの変異株の感染力は強いらしい。それで以前にもまして「マスク」着用がいわれるようである。マスク、マスクと言われても、ドラッグストアなどで売っているようなものにコロナウイルスを遮断する効力などはないだろう。相手は超微細なウイルスである。マスクのすき間からいくらでも侵入してくる。防禦の役には立たない。こんなことは少しは常識がある人間ならだれにでもわかっているはずのことである。
NEWS BOX
互いにマスクしていたのに…勾留中の男感染、取り調べ捜査員の感染判明で検査
福岡県警は17日、逮捕後に福岡県筑後地区の警察署に勾留されていた40歳代の男が新型コロナウイルスに感染したと発表した。取り調べを担当した捜査員の感染が判明し、PCR検査を受けていた。
- 読売新聞2021/04/18 -
マスクをしていれば安全・安心だという誤解というか誤常識(むしろ非常識)も相変わらずなかなか根強い。自分がマスクをするのは、ただただ他人に脅威を与えないためである。そんなものはウイルス対策には何の役にも立たないから、個人的にはマスクなどしたくはない(人がいない所では当然マスクはしない)。しかし、そんな無意味なものでもマスクをしていれば他人は少しは安心するだろう。ただ、それだけのためである。
- 2021/04/18 -


コピーの落とし穴

折を見てPCSM化(パソコン・スマホの共用化)をやっている。今までのパソコンでの色々なパターンをスマホで実現できるかが問題である。通常のテキストばかりのものはほぼ問題はないが、それ以外のものが混じっている場合に、ハタと行き詰まることがある。

昨日は、JavaScriptのフォームが入ったパターンである。旧来のパターンと同じものがスマホ用に再現できない。tableが横に2つ並び、それぞれを横スクロールさせるものだが、これがなかなか厄介である。そこで、tableを縦2つに変えてみだが、どうも表示が再現できない。tableの外側の枠線が切れてしまうのである。


あれこれいろいろ触りまわってやっと原因がわかった。両立しない2つのスタイルを設定していたのがトラブルの元だった(詳細省略)。そこで、この横幅ならスマホの横幅に収まるのではないか。となると、横スクロールは削除しても問題はないだろう、ということで一応は「まとも」になった。


ついでに、ここで使っているフォーム(formタグ)とJavaScriptはかなり古いものなので、この際に修正しておくかと手を付けたのがまた「ドロ沼」だった。もちろん古いままでもちゃんと動作はする。しかし、今の視点から少し書き換えておこうというだけのつもりだった。

ところが、ウンともスンとも動作しない。*.jsファイルを読み込んでいるのかいないのかもハッキリしない。何の反応もない。Microsoftの改悪路線のおかげで、こういう仕様になっていることは前から気がついていたが、ここまで不親切だとは。要するに、*.jsファイルのどこか1カ所にでもミスがあればそのファイル内の全関数が一切動作しないということである。それで無反応になる。これはIE, Edgeともに同じ。製造元が同じだから当然か。

そこで、Edgeの右上にある「…」→「その他のツール」→「開発者ツール」を見ると次のような画面が出てきた。


この下から3段目のところに「Unexpected token '=='」というのがある。「==」はJavaScriptでも当然に使えるはずで、別に問題はないと思っていた。これを使っている部分は、たとえば次のようなところで、これに問題があるとは思えない。

SAMPLE
if(isNaN(vwt)==true)

それ以外には使っていないはずだが、、、と思って念のためもう一度見てみたら(実は10回以上見ているのだが)、意外な所でこれが「使われていた」ことがわかる。

SAMPLE
var bmi2==Math.round(bmi*100)/100;

これでは動作しないはずだ。完全な間違いである。しかも超初歩的なものである。こんなものを書くはずがないのだが、、、。しかし、なぜこれが生じたのか。修正前の部分は次のようなものだった。

SAMPLE
obj.bmi.value=Math.round(bmi*100)/100;

これは今の点からみるとちょっと古いので、2行に分けようとしてコピーしたときに「=」が余分に紛れ込んだものである。

SAMPLE
var bmi2=Math.round(bmi*100)/100;
idBmi.value=bmi2.toString(10);

var bmi2=」まで書いて、後は古いものと同じだから「Math.round(bmi*100)/100;」をコピーしたつもりが、その前にある「=」を含んだ「=Math.round(bmi*100)/100;」をコピーしてしまったというわけである。自分では「==」などになっているとは思ってもいないから、これはなかなか気がつきにくい。こういう原因の探求にまる1日かかってしまった(笑)。

それにしても、Edgeのアラート(メッセージボックス)のタイトル「このページの内容:」のトンチンカンなことよ。こんなものがのっそりと上から出てくるのである。IEのほうがまだ少しマシである。どんな神経なのか、Microsoft。


メモ
この「このページの内容:」というタイトルは、prompt, confirm, alert に共通である。「布団(ふとん)も座布団(ざぶとん)も同じ」という発想である。また、このウインドウは動かせない。ウインドウの下に何が書いてあったのか、それを見ようとしても見えない。JavaScriptに対する冷遇(敵意)がよく見えてくる。
- 2021/04/13 -




暑さ寒さも彼岸まで。さすが先人の知恵である。完全に「寒さ」の季節は脱したようである。
新緑のさきがけ、というのは大袈裟だが、近くでみつけた麦である。



島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」の詩に次のようなフレーズがある。
あたゝかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
緑の葉っぱでも「青」葉、信号も赤「青」黄のように、日本語の「青い」は緑色の場合にも使われる。「麦の色わづかに青し」の麦も緑色である。これからはこういう色の季節でもある。
- 2021/04/08 -


単純手作業

ここ数日はipcエリアのPCSM化(パソコン・スマホのファイル共用化)をやっていた。
実際は既存のipc(イモ・ピーシー)エリアのファイルを実験的に改造しただけである。
従来のものとの大きな変更点は次の3点である。
  1. ファイルをパソコン専用からパソコン・スマホの共用化(PCSM化)に変更。
    パソコンでもスマホでもほぼ同じように見える。

  2. 文字コードをShift_JISからUTF-8(BOM)に変更。
    Shift_JISでは表せない文字でも表せる。

  3. UTF-8ファイル専用の列挙型検索スクリプト(CGI)の作成。
    特定の文字コードに特化した方が効率がいいだろう(予想)。
これも最初のうちは未知の事ばかりで、いろいろ試行錯誤して「発見」の楽しみがあった。しかし、ある程度わかってくると、そういう「発見」の楽しみもなく、ただの「単純手作業」でしかなくなってくる。まして既存のものを書き替えるだけのことは退屈極まる。とりあえず今はこのエリアだけ約200個ほどのファイルを書き換えただけであるが、あまりに単調すぎてもうヤル気が急速に減退してしまった(笑)。他のエリアのPCSM化はまた気が向いたときにしよう。

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- 2021/04/06 -


工芸品

珍しい本をもらう。「柳河版」の北原白秋の「抒情小曲集 思ひ出」という上製箱入りの立派な詩集である。これは「本」というよりも本の形をした「工芸品」に近い。九州旅行のお土産である。明治44年に東雲堂書店から出版されたもののいわば復刻本で、末尾に「この書物は故郷柳河を生涯愛した詩人白秋を永久に記念するため、日本郷土文藝叢書の趣意により柳川市に於てのみ発売するものである。」という記載がある。

簡単に言えば、ご当地に縁の深い作家の地域限定版というもののようである。出版当時の雰囲気が伝わってくるようで、今の無機質な文庫本の文字の並びから受けるものとは異なった感動がある。ちなみに、似たようなものに、石川啄木の「函館版 一握の砂」、国木田獨歩の「武蔵野市民版 武蔵野」、夏目漱石の「明治村版 吾輩は猫である」などがあるという。実質的な本の内容は市販の※※文庫で買えるものと変わらないだろうが、ちょっと気の利いた「お土産」としては別の意味での利用価値もありそうである。



- 2021/04/05 -


エイプリルフール

世は「マンボウ」ブームだそうである。北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズの再来かと思っていたら、これはコロナウイルスの「まん延防止措置」のことらしい。気楽な政治商売は、言葉だけあれこれと手を変え、品を並べ変えて、「やってる」フリはしているが、結局は「あれを控えよ」「これを自粛せよ」ばかりである。緊急事態宣言だとか騒いで、それを解除した後すぐまたこのドタバタである。もうエイプリルフールの「ウソ」じゃないかと思ってしまうほどマンガ的である(私見)。

今日の4月1日はエイプリルフールの日である。この「遊び」の本家であるイギリスではAll Fools' DayとかApril Fools' Dayとか呼ぶようである。小さい頃はいかに「まことしやかなウソ」を言ってだますか、あれこれ苦労して遊んだものだったが、高校を出たあたりからこの「遊び」をすることはなくなった。

ちなみに、本家のイギリスの子供たちはどんな「ウソ」で遊んでいたか。

Most of their tricks are far from original, and many have been used so often that they have now become traditional, yet they succeed again and again, and will probably go on doing so for a long time to come. One is to tell someone that his shoelace is undone, or his tie is crooked, or that something else is wrong with his dress, when in fact all is in order.

本当はどこもおかしいところはないのだが、「靴ひもがゆるんでいるよ」、「ネクタイが曲がっているよ」、「服装がちょっとおかしいよ」といって 、相手がハッとして下を見て直そうとすると「エイプリルフール!」といってはやしたてて喜ぶ。本当に罪のない「ウソ」だったようである。単純で日常的なだけにこういう「ウソ」は何度も何度も繰り返して使われ、それにもかかわらず長い間人々はその「ウソ」にひっかかってきたという。

William Honeという人によれば、このうち「靴ひもがゆるんでいるよ」とだますパターンは1825年以降のもので、それより前は「靴の留め金がはずれているよ」だったそうである。靴にはもう「留め金」が使われなくなったため、「靴ひも」に変わったというわけである。「ウソ」が進歩したといってもこの程度である。それに比べると、日本の政治業者や役人たちが日常的に使っている高度に進歩した悪質な「ウソ」はその巧妙さにおいてはエイプリルフールでも許されないレベルであろう。それに対して本来のエイプリルフールのなんと牧歌的でのんびりとほほえましいことか。そんな時代(と社会)がなつかしいほどである(笑)。
- 2021/04/01 -


久しぶりの詐欺メール

久しぶりに「迷惑メール」というか金品をかすめとることが目的だけの「詐欺メール」がきた(Fig.1)。一瞬、このメールを見ようとした。というのは、数日前にWEB上で某社への申し込みをしたことがある。その申し込んだ「モノ」はまだ来ていないが、その「支払」についてのことかと思ってしまったからである。それがなければ、こんなメールは詐欺インチキとして即座に削除するところである。たまたま運悪く「支払」に関して心当たりがあると、ついだまされやすくなってしまう。悪運の強い詐欺師であることよ(笑)。

Fig.1

よくよく見てみると、メールの「差出人」がいかにも機械的に生成されたようなメールアドレスもどきの「怪しい名称」である。まともな商売人(業者や会社)がこういう差出人名でメールを出してくることはまずないだろう。
また、その「メールアドレスもどき」にはまったく心当たりがない。要するに、まったく知らない未知の「差出人」である。
そういうものがいきなり金銭の支払い(それが詐欺メールの目的であるが)について書いている、となるとこれは詐欺インチキメールであることは確定である。そこで中は見ずに削除した。

おそらく実際にはもっと大量の迷惑・詐欺メールが届いているのだろうが、一応は迷惑メール対策として「フィルター」を設定しているから、その多くは遮断されて目に見えるところには出てこなかっただけのことである。上のメールはその網(フィルター)をすり抜けてやってきたものである。

気になって、他のメールを見てみたらやはり同様のものが来ていた(Fig.2)。タイトルの日本語は同じである。差出人名が別の「メールアドレスもどき」になっていた。裏でメールを出している黒幕は同一人(詐欺グループ)であろう。こちらはフィルターの網にかかって遮断されていたようである。

Fig.2

というわけで、フィルターをすり抜けてきたメールについてのフィルターを追加した。このタイプのものが出てくることはないだろうが、テキは手を変え品を変えて何度でもやってくることだろう。この点では完全に「イタチごっこ」である。ネット時代の宿痾ともいうべきダニ、ネットに巣食うウイルス。この絶滅は難しいだろう。便利さの反面、不可避的に出てくる厄介な副産物である。

この後さらに、次のようなものが来ていた。
Fig.3

気になって、今年1月からのメールを全部見てみたところ、このタイプのものはなかった。もちろん今現在残っているのはフィルタリングされて残っているもの、「迷惑メールでない」普通のメールばかりだから当然だが、そのフィルターをすり抜けてきたのは今日のこの3個が初めてである。
- 2021/03/29 -


山の桜

今年は桜の花が咲くのが早かったような気がする。統計的にも例年よりはだいぶ早かったようで花見の時期は過ぎてしまった。とはいうものの、近くの池の横にある山にはまだ花が咲いていた。近くまで行って確かめたわけではないが、これも桜の一種なのだろう(と思う)。ヤマザクラは「宮城県以南の本州・四国・九州に自生。明治中頃まで桜と言えばヤマザクラを指した」(「JAF Mate 2021年4月号」10p)という。少なくとも今の人が想像する一般的な桜、江戸末期にできた「新顔」のソメイヨシノではないことは確かである。



桜と言えば「花見」が定番の縁語だが、桜には「桜狩り」という語もあるが、こちらのほうは聞くことはほとんどない。圧倒的に「花見」の勝ちである。両方ともほとんど同じで、山野に桜の花をたずねて遊び歩くこと、楽しむことである。

「花見」の方が直截的で庶民的でわかりやすいことがその理由であろう。「桜狩り」となると優雅で貴族的(「狩り」は庶民とは無縁の遊びだった)、お上品でツンとすましたような雰囲気が伝わってくる。「花見」では酒飲んで陽気にバカ騒ぎしても違和感がないが、「桜狩り」ではそうはいかず、一句ひねってみようかということになる(笑)。それやこれやで「花見」が圧倒的に使われるようになったのであろう(私見)。
菜畑に花見顔なる雀かな (芭蕉)
またや見む交野かたの御野みの桜狩り花の雪散る春のあけぼの (新古今和歌集)
落花の雪に踏み迷う片野の春の桜狩り (太平記)
ちなみに、秋の「紅葉(もみじ)狩り」という語は今の庶民レベルでも使われることがあるようである。
- 2021/03/27 -


骨董的価値観

報ステPR動画 非難の声上がる」(Yahoo!ニュース2021/03/24)というニュースがあった。そのPR動画というのを見たが、いかにも軽薄そうでミーハー丸出しの若い女がベラベラと何かしゃっべっていた。これは若い女では普通のしゃべり方だろう。その中で「ジェンダー平等が時代遅れ」(不確か)と言っていた点が違和感というか印象に残った。圧倒的に不平等な立場に置かれている女にこういうことを言わせる、その意図がよくわからない。昔ながらの男尊女卑、男は外・女は内、などの骨董的価値観の再来かと思ったものである。カビの生えたような自民党の老人政治業者たちは大喜びであろう。それにテレビ局が忖度して、また何か「電波利権」にありつこうとして、接待では露骨だからこうPR動画を流したということかもしれない(笑)。
- 2021/03/24 -


招かれざる客、へぇ~そうなの

人の世はうまくいくことばかりではない。今日は来てもらうと困るなぁ、と思っているときに限って人が来る。そういう場合に限ってウダウダと長話に付き合わされる。こういう手合いを称して「招かれざる客」というのが通例である。しかし、本来は、この語はそういう悪い意味ではなく、むしろ良いことのほうに使われたものだったという。へぇ~、そうなの、である。
まねかれざるきやく
今日では、招きもしないのにやって来た、あまり歓迎できない客をいうが、原典では、思いがけずに訪れて助力を与えてくれる人びとを意味している。
- 和田武司・市川宏 訳「中国の故事名言」(徳間書店)281p -
「原典」とは四書五経のひとつである「易経」である。その「需卦じゆか」の部分にあるという。元々はそういうありがたい人のことだったようである。今でいえば、さしずめプレゼントを持ってきてくれるサンタクロースのような感じである。しかし、言葉は世に連れて変わっていく。そして、いつしか本来の意味とは正反対のものに変わって、それが普通のような顔をして流通していく。

そういえば、寒さや恐怖のために体の筋肉が反射的に収縮する状況を指して「鳥肌が立つ」という語を使うのは、今や絶滅危惧種の老人だけになってしまったようである。最近ではNHKの中年のアナウンサー(特に女)でもこれを「感動する」という意味で使う世相である(最初に使い出したのが有働由美子アナで以後ウイルスのように蔓延した)。長い目で見ればこういう現象も無下に非難はできないのかもしれない。
- 2021/03/22 -


スナップエンドウ

スナップエンドウの花が咲いていた(俗称スナックえんどう)。赤いのと白いのがあるようである。まともに生育するといわゆる「絹さや」になるが、去年は実ができはじめるとすぐに強風が吹いてきて倒壊してしまった。成果はサッパリだった。茎が細いから少しの風にも弱い。今年はどうなることやら。





- 2021/03/18 -


脂肪の塊(続)

以前にモーパッサン「脂肪の塊」について書いたことがあった。たまたま岩波講座「文學の創造と鑑賞 2 文學の鑑賞(2)」をパラパラと見ていたら、中国文学で有名な竹内好のコメントが目についたのでついつい読んでしまった。ほぼ完璧に近いこの作品に、しいて難癖をつけるとしたら、それは馬車の御者についての描き方が、この作品に出てくる他の人とは違っているということを指摘している。なるほど。

それによれば、これに出てくる御者は馬車の付属物に近い扱いでしかない、もっとハッキリ言えば彼は人間とは扱われていないという。その昔、この小説を読んだ時には「そこ」までは「目」がいかなかった。この小説の半分の舞台になっている馬車の中、そこは当時のフランス社会の縮図でもあるが、そこの人間類型の描き方は秀逸である。それに対して、言われてみれば、確かにその馬車を動かしている御者はまるで物のような「木石」の扱いである。この人のイメージが伝わってこない。
馬車の乗客がフランス社會を象徴するのに對して、馬車を動かしている御者は、フランス植民地の人民を象徴しているような氣がするのである。
- 竹内好「モーパッサン「脂肪の塊」」(岩波講座「文學の創造と鑑賞 2 文學の鑑賞(2)」91p) -
ところで、これは想像の限りでしかないが、この「木石」に人間類型を与えるとすれば、それはどんなものになるのだろうか。さしずめ、当時のフランスに普通に見られた一般的な労働者、特に現業労働者という形になるのだろう。実際にも、この馬車の乗客にはそういう労働者はいない。乗っていたのは商人夫妻、大実業家夫妻、大地主夫妻、宗教者(尼さん)2人、民主主義者(政治家の一種か)、娼婦(主人公)である。たぶん主人公を除けば全員が上流階級に属する。そう考えれば、ここで「木石」のように扱われるものが、とりもなおさず当時の多数を占めていた一般的なフランスの労働者だったともいえないこともない。

ところで、この小説の背景になっている普仏戦争が始まったのが1870年。ただ、この当時は戦争相手のドイツでは、マルクスの「資本論」が出たり(1872年)、ビスマルクの社会主義者の鎮圧(1878年)などが起こっていた。社会主義または社会民主主義の勃興期だった。ちなみにマルクスの「共産党宣言」はずっと前の1848年に出ている。フランスでも普仏戦争後には労働者階級の利益擁護を目ざす政策を打ち出したパリ・コミューン(1871年)が起こっていた。となると、果たしてほとんど「もの云わぬ」御者がこういう「声を上げ始めた」民衆の代表として小説の中に出てくるのが適任であるかどうかは多分に疑問になってくる。今のEUのように人が自由に行き来できる時代ではないことを考えると、こういう無人格性は牛馬並みに考えられていた植民地の人ということになるのかもしれない。
- 2021/03/13 -


LANケーブル

長い間(15~16年ぐらい)使ってきたLANケーブルの調子が悪い。既にツメは折れてヨレヨレである。このケーブルは自分で買い求めたものである。レンタル品のADSLモデムに付属していたものでは長さが短すぎて「こたつパソコン」ができない。それで別に長いLANケーブルを買い使っていたものである。その調子が悪くなったので、レンタル品についていたケーブルを取り出してきてそれに変えてみた。今まで一度も使ったことのない新品である。ところが、何度やってもトラブルが起こる。パソコン起動直後はインターネットにつながるが、しばらく断つと切断されてしまう。それが何度も起こる。前のケーブルに変えると正常につながるから、ケーブルがおかしいと気がつくまでかなり時間がかかった(想定外)。

どこに原因があるのか細かいことはよくわからない。以前には起こらなかった現象である。ケーブルに印字されている表示を比べてみると多くは同じ(CAT. 5)だったが、両者の違いは、つながっていた方は「TIA/EIA 568A」でつながらない方は「TIA/EIA 568B.2」となっていた。T568AとT568Bではまるで正反対のシロモノである。これが原因かもしれない。純正品に近いレンタル品に同梱されていたケーブルが使えないとは笑えてしまうところである。なんなの、このメーカー(NEC)は。

LANケーブルに関しては、上位互換性があるということを聞いていた。そこで近くの電器屋(もうパソコン専門だけの店は希少)を偵察にいく。「CAT. 6」以上のものしかなかった。一番安そうな(1m/390円)ケーブルを試しに買う。これならつながらなくても被害は少ないだろう。ところがこれが正常に使える。やはり上位互換性はあったようである。

しかし、このトラブルで気がついたことがある。世間にいろいろ出回っている情報は、確かにありがたいことが書いてあるのだが、実際に自分が使っている個別のマシンや機器などにはほとんど役には立たなかった。実際に自分でやってみなければわからない。このケーブルもそういう「世間の情報」を総合すれば「つながらない」ということになるのだが、自分の場合には「つながった」。いろいろ情報はあっても役に立つものは少ない。
- 2021/03/12 -


様変わり

確定申告(還付)に行ってきた。新聞のチラシなどには混雑緩和のために入場整理券が必要だと出ていた。これは2日がかりになるかもしれないと思っていたが、駐車場には意外に車や自転車が少ない。交通整理の警備員もヒマしていた。入り口ではセルフでする検温とアルコール消毒が置いてあった。中に入ってみると、ほとんど「客」はいなかった。去年はここに長蛇の列が数列にわたってできていたと思うが、今は係員もヒマしていた。「こちらにどうぞ」と即決でおしまい。滞留時間は3分ほどである。今までの混雑はいったい何だったのかと思うほどガラガラだった。これはたまたまその時だけの特殊なケースだったのかもしれないが、「待たせる」のが「お役所仕事」の定番となっているだけに、意外に新鮮な感じがした(笑)。

今回から用紙の書き方が変わっている所が数カ所あった。去年と同じ要領でいけるだろうと軽くみていたが「あれっ?!」である。これにはあせったが、なんとかなった。要するに「手引き」を再度読むことになったわけで、書くほうからいえばただ「手間」が増えただけである。ちょっと書き方が変わっただけでもう庶民はとまどってしまう。「計算方法が分からない場合は税務署にお尋ねください」と書いてある。繁文縟礼(はんぶんじょくれい)という言葉があるが、つくづく、「お役所仕事」はなくなることはないだろうと思う。やることがなくなれば、書式の書き方を変えるなどして自分で仕事を作り出すことができるからである(笑)。
- 2021/03/11 -


昔のおカネとお菓子

近くのスーパーのチラシを見ていたら「エースコイン」というお菓子が出ていた。なつかしい、今でもまだこんなものがあったのか。子供の頃は稲刈りなどの手伝いをすると近くの菓子屋で買ってくれることがあった。昔はこんなおカネがあったのか、今とはだいぶ違うなぁ、そして同時に急に「金持ち」になったような気がしたものである(笑)。それでついつい1つ買ってみた。クッキーのサイズはだいぶ小さくなっていた。また小さい頃に感じたほどの「おいしさ」は感じなかった。こういう「感じ」は食べ物一般に当てはまることであろうと思う。

ずっ~と昔に覚えた記憶によると、日本最古の貨幣は和同開珎(わどうかいちん)だった、当時はまだ読み方は「わどうかいほう」だった。それからだいぶたって、富本銭(ふほんせん)というものが発見されて、以後これが日本最古の貨幣だとされた。先のお菓子の袋にも「富本」が出ていて「1985年に出土 日本最古の貨幣」となっている。その形のクッキーも入っていた(Fig.1)。もちろん、子供の頃のこの菓子にはこれは入っていなかった(当然)。
Fig.1


そういうふうに富本銭が最古の貨幣だ記憶していたが、最近、栄原永遠男「天平の時代」(集英社版「日本の歴史4」)をパラパラ見ていたら、そうでもないようである。「第3章 和同開珎の誕生」-「1 律令国家と銭貨」-「銭貨の呪力」の項に次のようなことが書いてある。
 銭貨に強力な呪力があるとなると、呪力だけを純粋に取り出して疑似通貨をつくることがおこなわれるようになる。これを厭勝銭えんしょうせんという。まじないのための銭貨風の金属盤のことである。中国ではかん代からすでにつくられていたが、日本では、中世以降とされてきた。
 ところがも大和郡山やまとこおりやま九条くじょう町(平城京の右京八条一坊十四坪)で、井戸の底から和同開珎・神功開宝・万年通宝とともに「富本銭ふほんせん」というものがみつかつた。これによって、日本では奈良時代にすでに厭勝銭があったことが確かめられたのである。奈良時代の人々は、すでに銭貨の呪力をかなり強力なものとみて、ひんぱんにまじないに利用していたにちがいない。
- 栄原永遠男「天平の時代」(集英社版「日本の歴史4」)88~89p -
ちなみに、同書によるとリアル「富本銭」は次のようなものだということである(Fig.2)
Fig.2


この本は1991年9月11日が初版第一刷である。この時にはすでに富本銭は厭勝銭であったことがわかっていたことになる。

厭勝銭とは、「特殊な図像や文字を刻み、まわりに獣形や円環・突起などをつけ、縁起物あるいは護符として用いられた銭。(中略)。流通貨幣としては使用されない」(角川「日本史辞典」)というものである。今では富本銭は、おカネのような装飾品であって、おカネではなかったということになっているという。それで「日本最古の貨幣」という看板も和同開珎の方に返却されることになったようである(Fig.2)

それにしても、子供や役人だけに限らず、日本人の「おカネ好き」は、少し前までは諸外国からエコノミック・アニマルと揶揄されるほど有名であったが、それは大昔から民族的(?)にそなわったDNAのようである(笑)。
- 2021/03/08 -



次のような記事が出ていた。
NEWS BOX
改めて新旧の教科書を読み比べる。最古の銭貨は和同開珎ではなく「富本銭ふほんせん」に。
- 朝日新聞「天声人語」(2021/03/17) -
いつごろのどんな教科書(小学校か中学校か高校か)がハッキリ書かれていないが、少なくともこの人の見た教科書には「最古」の銭貨だと書かれていたようである。
「銭貨」と「貨幣」の違い。それらに「厭勝銭」を含むのか含まないのか、という考え方の違いが対立の根本にあるようである。


春の色

春の色といえば黄色と桃色である。

いわゆる「菜の花」ではないが黄色い花が一本咲いていたのが目立つ。


いわゆる「梅」ではないがほんのりとした桃色が春の雰囲気である。これは西洋ミザクラ(俗にサクランボ)である。


- 2021/03/04 -