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日本の神道を宗教として捉えることは至難である。そこには教祖も教義もない。ただ「畏れ多い・有り難い存在としての神」がある。
- 寺島実郎「日本と天皇の始まり-天武・持統期の革命性」(岩波書店「世界」2021年4月号271p) -
神道は一般に、神霊や祖霊と人間との交流の存在という、不条理な教義を説いている。しかし神道の本質は「ことあげ」しないことにあって、仏教やキリスト教のように明確な宗教哲学の創出によって教義の普遍化を志すことも、異民族への伝道によって教義の普遍性を験(ため)すことも、みずから避けている。だから神道は、仏教やキリスト教ほどの普遍性をもともと持ちえず、事実そうであるように、民族宗教の範囲にとどまらざるをえない。このように教義の普遍化をこばむ宗教が、政治と結びついて国家の意志となることは、ただただ危険である。「ことあげ」をしないということは、他人に対して「説得」という動作も欠くことになり、布教(普遍化)をめざすこともない、したがって世界宗教にもなりえないということになる。言ってみれば、以心伝心、日本人ならわかるだろうこの気持ち、という程度のことである。それは狭い限られた範囲でしか通用しないものである。
- 真継伸彦「宗教と政治」(岩波講座「文学 7 表現の方法4 日本文学にそくして下」282~283p) -
葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国しかれども言挙げぞ我がする (万葉集・一三・三二五三長歌)上代においては「ことあげ」はタブーとされていた。あえてその禁を犯すのはよほどの重大な時に限られた。「神(かむ)ながら」は「かんながら」ともいう。「神のお心のままに」「神でおありになるままに」「神代からそのままに」という意味である。そして、万葉集の上の部分は、「日本は、神のお心のままに、口に出して言い立てることをしない国である」という意味になる。
数ある中から、坂口の問題にしていた「日本的モラルの確立」に関するものに眼をつけると、四二年十一月号収載の吉田三郎(興亜院錬成官)のものがまずあげられる。というふうにかかれても、やはりよくわからない。要するに、「盲目的な尊皇愛国主義、箸にも棒にもかからぬ偏狭で非合理的な日本精神主義」(同書249p)、「「日本的」なるものはこうした尊皇主義を軸としたものが主流を占め」(同書250p)ていた。つまるところ、漠然としていて明確ではないのである。日本的なるものの探求は哲学的思弁や古典に対する西洋流の解釈から生まれるものではなく、肇国の精神を体現した先哲の業績と著述を通して端的に感得せられるものである。今ではもう辞書にたずねなければ意味を知る人も少ない「肇国の精神」とは、神武天皇が国を開いたその精神ということだ。つまり日本的なるものは、その存在の確実性も定かでない神話中の仮想の天皇の開国精神の体現が最も重視されることになる。そしてそれは取りも直さず神武以後にも引き継がれたであろう歴代天皇の精神をも包含して以下のように展開されていた。 ― 「日本世界観の把握には、1、御歴代天皇御統治の一貫せる御精神をそれぞれの時代に即して奉戴するという事」(伊藤栄四郎、東高師助教授「日本世界観の体得」、四二年十月号)
- 兵藤正之助「戦争をどう受けとめ、どう生きたか」(岩波講座「文学 7 表現の方法4 日本文学にそくして下」249p) -