2004年12月 |
年末ジャンボ宝くじ、購入金額30万円。
結果
300円が100本
3000円が10本
10000円が4本 合計10万円 マイナス20万円
あ〜3億円は夢の又夢だ・・。
さきもりさんは作家デビューするのが天職なのではないでしょうか。
だって、おもしろいです。
さきもりの妹が仕事の関係で3月いっぱいで札幌に引っ越すことになった。
さきもりとは5歳離れているから一緒に住んだのは彼女が中学校2年生までで、それ以来、およそ20年間は別れて暮らしていたのだが、それでも、ここ数年は実家で親と同居していたから、さきもりが立ち寄るたびに顔を合わせ、ビ−ル等をねだられていた。
「もう、この家族も解散の時期になったのかな」
実家に顔出ししたおりに、父と酒を酌み交わしたとき、さきもりはふとそう言った。
父は昭和11年、母は昭和15年の生まれで、正直言って万が一の事態が何時、訪れてもおかしくはない。
「どこの家にもあることだからね、仕方のないことだよ、誰も皆、年をとり自分の暮らしを形作っていくものだからね」
父はそう言いながら、ビ−ルを口にした。
「でもね、僕は家族に感謝しているんだよ、僕がほしいと思っていたものをすべて見せてくれたからね」
出生の事情故に親との縁が薄く、それ故に「暖かい家庭」に強い憧れを抱いた彼は、自分を入れて僅かに4人ではあるけれど、それでも、その暮らしを守り抜くために文字通り、粉骨砕身の日々を送った。
「男の値打ちは家族を守ることができるかどうか、家族を安心させられるかどうかによって決まるよ、出世するかどうかは付け足しだね」
出世できなかった人間のひがみとも受け取られるが、それだけではあるまいとも思う。
風呂から上がり、家族が全員、パジャマに着替え、晩酌をやる。むろん、子供たちはジュ−スかサイダ−で、親はビ−ルだ。そして、傍目からすると実に下らない話をして、時間が来たなら4人が川の字になって寝る。
これはさきもりが小学生だった頃の実家の毎日の夜の光景だった。ちなみにさきもりの実家では夜の9時には寝ていたから、隣近所では「寝るのが早いウチ」として有名だったとだいぶん後になってから聞いた。
さきもりは、自分が経験した光景が大好きだ。さきもりが夢にこだわり続けてきたのも、この光景を護る手助けが少しでもできたらと思ったからなのだ。だが、このさきもりの「原風景」も、今、終わりを迎えつつある。
「妹のことは気にするなよ。さきもりにはさきもりの人生がある。僕もそんな風にして生きてきたから ね」
父は手酌でビ−ルをやった。
このごろとみに皺の増えた父の手の甲を見て、さきもりはふと胸を熱くした。
前回の身辺雑記で「ホワイトアロ−は30分に1本」と書いたが、あれは間違いでした。正しくは「ホワイトアロ−とライラックがあわせて30分に1本」でした。
さて、さきもりが乗った特急「オホ−ツク3号」は定刻で旭川駅を終着の網走駅に向かって発車した。
さきもりが乗った車両は真ん中あたりでグリ−ン席と普通席が仕切られているというやや変則的な車両で、これはグリ−ン車の乗客がすくないからとられた改造措置の結果なのだが、この一事をもってしても、このオホ−ツク号の立場が分かる。
旭川から網走までは石北本線と名付けられた線路が続く。
「本線」という華やかな(?)名称とは裏腹に、この路線の沿線は人口密度が希薄で純然たるロ−カル線の趣がある。
旭川駅を出発してからしばらくして、さきもりは居眠りを始めた。前夜は新婚の二人を囲んで夜半近くまで飲み続け、朝は汽車に遅れまいと7時に起きたものだからすっかり寝不足になっていたのだ。
「がくん」
不意に汽車が前後に揺れたと思うと床下のエンジン音が高くなり、車体が細かくふるえた。その気配で目を覚ましたさきもりは車窓の外に目をやった。
汽車は北見峠を登り始めたのだ。
窓の外には雪をかぶった針葉樹林。平行して走る道路にもうっすらと雪が積もっているのが見える。
林学にはとんと疎いさきもりではあるけれど、それでも車窓の外に流れる針葉樹林が植林により形成されたものであることは分かる。自然林が、あのように整然と生えるわけはないのだ。
あまり愉快な話ではないが、北海道には「囚人道路」と俗称される道路がある。
その昔、北海道開拓に、刑務所の受刑者が使役されたことからこの呼び名があるのだが、あるいはこの石北本線も彼ら囚人の文字通りの血と汗を礎に築かれたのではあるまいか。
突然、床下で騒音が高くなったと思うと汽笛の音がして汽車が減速した。さては雪崩でもと思い、窓の外に目をやると一群の鹿が雪の斜面を駆け下りていった。群れの先頭を行く鹿が一瞬、立ち止まり、汽車のほうを振り返るとまた、走り始めた。
さきもりの乗った汽車が通過した後には、この山林は静寂に覆われることだろう。その静寂の中で、彼らは何を思うのだろうか。
かつては蒸気機関車のD51が重連で、そして、その後継機たるジ−ゼル機関車のDD51がやはり重連で貨車を牽引し、あえぎながら登ったこの峠を、いま、キハ183系「特急オホ−ツク3号」はまさに渾身の力で登り行く。ジ−ゼルエンジンの排気がはっきりと窓の外に見えるから、多分、最高出力で運転しているのだろう。
汽車は石北トンネルに進入した。
無煙化が達成された現在はいざ知らず、蒸気機関車が排煙たなびかせて往来していた往時、このような長いトンネルを通過するということは、文字通り意味で「難行苦行」だったのではあるまいか。
何時のことだったかは思い出せないが、JR北海道の幹部社員が「石北本線の高速化は難しい」といっていたのを鉄道雑誌で読んだ記憶がある。で、さきもりは「何を気弱な」と心の中でなじった。だが、実際に札幌から網走まで汽車に乗ってみて分かった。これでは、大幅な線路改良から始めない限り、たとえば釧路札幌間を走っている「ス−パ−おおぞら」に投入されている車両で運用したところで高速化は無理だろう。なにせ、線路が、聳える山岳のほんのわずかな斜面の崖を削るようにして敷設されている箇所が多数ある。さきもりが乗った3号車から1号車や5号車が見えるほどに列車が屈曲する箇所が多数あったことからすると、線路の曲線は相当に急で且つ数が多いのだ。かくて折角、特急用に設計制作されたキハ183系もこの路線内では鈍行列車並みのスピ−ドになってしまう。
峠を下り終えしばらくすると、遠軽(えんがる)の駅に着いた。ここで結構な数の乗客が降りてしまい、さきもりの乗った車両にはさきもりを含めて3人しかしなくなってしまった。ちなみに、この駅では札幌方から来た列車は前後逆になって網走めがけて走る「スイッチバック」方式がとられている。降車した乗客たちが皆、大きな旅行鞄をぶら下げているところを見ると、札幌からの帰りの客なのではあるまいか。
遠軽では名物の「かに飯」を積み込んだ。ちなみにこの弁当は予約制だ。むろんのこと、さきもりも予約しておいた。
遠軽から北見に向かう途中にも常紋(じょうもん)信号場がある。
この辺りは1000メ−トル行くと25メ−トル上昇するという勾配の坂道に線路が敷設されている。こ坂が急なのか緩やかなのか数学劣等生のさきもりには分からないけれど、ただ、汽車のエンジン音を聞くとかなりの勾配なのだろう。
元々、この辺り一帯は本州への木材供給地として植民された土地柄だけに森林資源は豊富だ。ただ、それも今では使用品価値が下がり宝の持ち腐れといったことになっているのだが。
旭川駅を出てから約3時間、北見盆地に位置する北見駅についた。
一応は網走市に支庁があり、網走管内ということになるのだが、人口は北見の方が網走の倍以上ある。網走にとっては面白くない話だろうが、経済力ということで見る限り、北見の方が上だ。
この北見市とその周辺は、周囲の山林から切り出される木材の集積やその加工といったことで発展した。北海道の多くの街がそうであるように、この街もまた、原料供給という、基礎的で素朴な反面、付加価値の低い製品を供給する以外に経済の柱を持たない。そして、その木材価格は低迷している。行きつけの飲み屋の女将がため息混じりに「北見の街全体がつぶれるかもしれない」という閉塞感も、無理はないのだ。
北見を出発すると、かつて映画「君の名は」の舞台の一つにもなった美幌、そしてオホ−ツク沿岸地方の空の玄関口、女満別空港のある女満別をへて、網走に着く。
網走駅に降り立った。さきもりの乗った車両で見る限り、札幌から網走まで乗った乗客は3名しかいなかった。車両は特急列車用のそれだし、サ−ビスもよいのだが、いかんせん、時間がかかりすぎる。尤も鉄道会社からすると線路改良に莫大な金がかかるから、おいそれとは高速化に着手できないと言うことなのだろう。
ふと先頭車の様子が見てみたくなり、そちらの方に行った。
非貫通形で運転台の位置が高いキハ183系は、機械室に積まれた発電機の音も高らかに、停止していた。国鉄末期に道内に登場し、振り子式車両が運用開始されるまで、文字通りの意味で花形的存在だったこの系列の車両も、今、老兵の趣を帯び始めた。それでも彼はこれからも、この北辺の地を走り続けることだろう。倒れ伏すその日まで、彼は風雪を厭わず人を運び続けるに違いない。彼にはそれしかできないのだ。だから、それで良いのだ。
網走駅から川湯までの連絡の鈍行発車までに時間があるので、改札を通って外に出た。 夕日に照らされ辺りがあかね色に染まり始めた網走の街を見ながら、昨夜分かれた、新婚ほやほやの友人のことをふと、思い出した。 (完)
卵の話題ばかりで申し訳ないけど、子供の頃には卵を割れば黄身が二つのに偶然に遭遇することって
なかったですか?。子供の頃は、それが嬉しくて嬉しくたまらなかった記憶があります。
現在は選別されて双子はスーパーマーケットには出ていないようですが・・。
「ちりめんじゃこ」に蛸の赤ちゃんが、たま〜に入ってるのも嬉しかったなぁ。
ひよこの形をした卵とは、、、他の人はどうかしらないが、やはりちょっと食べられない。
想像するだけで、普通の卵も食べられなくなる。
卵割ったら、そんなのが出てきたらどうしょう、と思ったりしてね(笑)。
それも所が変われば、ごちそうになるというから、世間は広いなぁ。
いい体験をしたと思えば、それまでだが。。。。
フィリピン人の彼女の勧めでフィリピン料理にチャレンジしてきた。
経営者がフィリピンのおばちゃんで、言葉があまり通じないのでオーダーは彼女におまかせ。
豚肉とエノキダケのようなものが煮込んであったが、そのエノキダケらしきものは、なんと
バナナの花と聞いてびっくり仰天。
何品か注文したが、唯一(抵抗が少なく)食べれたのは、「ティラピア」と言うフィリピンの
川魚だけ。名前もよく似ているが「ピラニア」の大型といった感じで鯛のような味であった。
どうしても食べられなかったのは名前は忘れたが、ふ化寸前の卵料理。
殻をめくると腐ったひよこが、なんとも言いがたい色をしていた。
その頭や胴体をスプーンでおいしそうに食べる彼女の姿に、オェーと吐き気がしてしまいました。
2年前の古い時刻表では「スーパーホワイトアロー」は1時間に1本ですね。今は増発されているのかな。新千歳空港と直結しているようで、北海道交通の生命線ともいえるものなのかな。
時刻表は、これを使った推理小説で松本清張の「点と線」以来、気に入っているので手離せない。
本州以南に住む人は北海道というと「雄大な自然」を思い出すようだけれど、正直言って、札幌から北はほぼ滝川あたり、西は小樽で南西は苫小牧あたりまでは都市化が進んでいて、さきもりなどは「ミニ東京」と思っている。で、その都市化された道央部を縦貫する函館本線を「オホ−ツク3号」は一路、北上した。
車窓から外を眺めていると、線路と平行して走る国道12号線を北上する自動車が片っ端から後退するのが見える。幾ら運転の乱暴な人が多い北海道でも国道をバックで運転する人が大量にいるわけはなく、時速120キロで線路上を走行する汽車からみた錯覚なのだ。
汽車は岩見沢駅に着いた。
ここは室蘭本線の分岐点にもなっている。昔はここに岩見沢機関区がおかれていて、大量の機関車が配置された北海道の鉄道輸送の一つの要だったのだが、往時を偲ばせるのは、そのだだっ広い駅の敷地と転車台だけとなっている。
南空知の要衝をいい札幌のベッドタウンとして人口の増加が伝えられる街の駅ではあるけれど、この日、ここで降車したのはわずかな人たちだった。
北を目指して走るオホ−ツク号の進行方向右手には広大な畑が広がる。空知支庁管内は米作が盛んだから、多分、この枯れ野原も実りの時期には黄金波打つ水田だったのだろう。
遠くに見える山並みは大切山系だ。
さきもりは一時期、本州に渡ることを考えていた。迷っていた。
親戚の法事が赤平(あかびら)であり、その帰途の汽車の窓から見たのが、真っ白な雪原の向こうに黒々とした山容を横たえる大切山系だった。さきもりは、その風景を見て「北海道にいよう」と思った。この辺りの風景は、さきもりが道産子として一生を全うすることを決意させた風景なのだ。
地図を見るとわかるのだが、この辺りは線路も道路もカ−ブが少ない。ただ、都市化が進んでいるせいで道路は交通信号が多く思うように走れないが、汽車はその点、お構いなしにひたすら走り続ける。
岩見沢から滝川に向けて出発後、程なく旭川から札幌に向けて走る、在来線電車特急では最速を謳われる「ス−パ−ホワイトアロ−」とすれ違う。
いつも不思議というか感心させられるのだが、特急同士が線路上で出会うときの風圧で窓ガラスがよく割れないものだと思う。なにせ、こちらは時速120キロ、向こうは時速130キロで走行中なのだ。相対速度は250キロにも達するわけで、その風圧も相当なものと思うのだが「ドン」という音を窓に残したのみで、二つの列車は離れていった。
かつての同僚が、空知管内の街を「潰れかかった街」といった。さもありなん、かつての基幹産業だった石炭採掘も今はなく、農業も市況の低迷を受けふるわず、観光業も隆盛を望めないとあれば、それこそ「立つ瀬なし」であろう。その空知管内を縦断し、汽車は札幌を出発して1時間半ほどで、上川管内の中心にして北海道第2の都市、旭川駅に定刻通りにすべりこんだ。
この旭川駅では運転士と車掌が後退する。そして、なんと乗客の半分以上がこの駅で降りてしまった。
札幌旭川間はJR北海道の数少ない黒字路線であり、だから、この区間には「ス−パ−ホワイトアロ−」が投入されている。この列車は30分に1本の割合で運行され「時刻表のいらない汽車」というのがセ−ルスポイントとされているのだが、オホ−ツク3号が札幌駅を出発する約10分前に、旭川を目指して出発し「スーパ−」があったはずなのに、ここで降りた人たちは、それには乗らずに「オホ−ツク3号」を選んだということなのだろうか。それとも札幌旭川間の輸送需要はそれほどに旺盛ということなのだろうか。
汽車は定刻で旭川駅を出発した。つづく
先日の朝方の自信でも目立った被害はなし。ただし、役所の駐車場にひびが入りました。今はよいけれど来春は大変なだろうな−。