本のアフターサービス

日に日にその存在価値が低下していく紙の本だが、まだまだ情報伝達の媒体としての主役の地位はゆるぎそうにない。電気や電子機器がなくてもいつでもどこでも気軽に手にとって見ることができる。落としても壊れない。サイズか小さい本の場合は携帯に便利である。

しかし、この紙の本にも困ったことがある。本の記述に間違いがある場合、その訂正を周知させる手段がないことである。誤植でも間違いでも印刷時の段階でそれが固定されてしまうことである(せいぜい増刷時に訂正される程度)。

これは一歩間違えば、正しい知識を伝達するはずが、誤った知識を世間に広める「公害」にもなりかねない。この点は、訂正が容易な電子データにははるかに及ばないところである。

最近、岡田哲編「日本の味 探究事典」(東京堂出版)を見ていて感じたことである。どうも「不審」と感じる部分が多過ぎるのである。
  1. きょうりょうり 京料理(京都)
    京料理の特長は、(中略)、(6)水質がよいので、灘の酒や良質の湯葉・麩・豆腐がある。
    - 100p -

    「伏見の酒」ならまだしも、ここで「灘の酒」とは場違いではないか。

  2. にしんそば 鰊蕎麦(北海道)
    「ニシンの大群が、江刺沖から去った」をはじめとして、「えさし」はすべて「江刺」という漢字になっている。
    - 191p -

    岩手県には「江刺」市などの地名はあるが、北海道に「江刺」と書く地名はないはず。「江差」や「枝幸」はある。

  3. 江戸時代の時代区分の書き方に統一性がなくバラバラである。
    これがこの本の一番ダメなところである。そのチグハグぶりは枚挙に暇がない。

    215pでは1661年~1680年が中期になっているのに対し、190pでは1661年~1675年が前期に、254pでは1690年が前期になっている。これでは中期の後に前期がくるというになる(笑)。

    185pでは1695年が前期になっているのに対し、193pや235pでは1688年~1704年が初期になっている。前期と初期の区別がまったくされていない(笑)。

    191pでは1830年~1844年が中期に、264pでも1830年~1843年が中期になっている。これには違和感を感じる。江戸も末期で、あと25年もすれば明治維新である。これが中期とは、いったいどういう時代感覚なのだろうか。

    こういう場当たり的な区分記述はこの本の至る所に出てくる。この本はひとりで書いたような体裁になっているが、実際は多数人が書いていることが推測できる(分担執筆者がいることについての記述は一切ない)。その場合でも、こういう基本的なところは記述を統一するという「事前取り決め」がされているはずである。とにかく杜撰な記述が目立つ。

  4. 和暦と西暦の対応関係がまちがっている部分がある。
    江戸時代の和暦表示に対応する西暦が1900年代の表示になっている例があった(どこだったか失念したが)。こういう例が一ヶ所でも出てくると、他の部分はどうなのか。果たして正確に記述されているのか。

    そういう疑いが出てきて、いちいちこちらの持っている歴史年表で和暦と西暦を確認することが迫られてくる。能率が悪いことおびただしい。

  5. こう多いと、他の部分も間違いがあるのではないかという不信感がわいてきて、この本を引用しようという気がなくなってくる。これが最も恐い。要するに、本に対する信頼がゆらいでくるのである。
出版元がホームページなどでその訂正情報を流しているような気配もない。これがあれば上のような紙の本の欠陥は修復されるが、そういうアフターサービスはしていないようである。これは出版業界全体が企業の社会的責任として考慮しておくべき課題ではないかと思う。

- 2013/01/12 -