必要な土地の広さ

少し前にきた「図書」2011年9月号(岩波書店)に、中務哲郎という人が「人にはどれほどの土地がいるか」というタイトルでエッセーを書いている。これは、前に書いたトルストイの民話(または寓話)ネタである。この点について、トルストイよりはるか前の中国の思想家の荘子の説を紹介しているのが興味をひく。
「大地は果てしなく広大だが、人が利用するのは足を置くわずかな部分だけだね。けれども、足の寸法に合わせて不用な土地を削り、地の底に至るまで掘り下げていったら、人にとってその土地はやはり役に立つだろうか」(『荘子』雑篇「外物篇」第二十六。福永光司・興膳宏訳)。
- 中務哲郎「人にはどれほどの土地がいるか」(岩波書店「図書」2011年9月号46p) -
人が生きていくのに必要のないもの、実利に関係のないもの、金儲けにならないものは不用なものだから捨ててしまえ。必要最小限以外のものはムダなものだという実利効果至上主義に対する批判である。「無用の用」の重要性とでもいえばいいか。それにしても、いつもながら中国の言説は奥が深いし、「たとえ」がうまいと実感してしまうのである。

そして、実利主義者からは無用のものとされる、両足のまわりに広がる広大な大地について、次のような書かれている。
負のグローバリゼーションの覆うこの世界では、英語さえ知れはコミュニケーションが叶うから、ややこしい言語に難儀する必要はない。ペンと紙のいらない携帯で情報交換する段には、国文学科で日本の古典を修める必要もない。しかしこれは、言わば地面の上に二本の足で立っているだけの状態であり、立ってはいるが危うく貧しい。
- 中務哲郎「人にはどれほどの土地がいるか」(岩波書店「図書」2011年9月号47p) -
なるほど、頂門の一針である。もっとも、これに類することは昔から何度も言われてきたことで、別に目新しいことではない。たまたま同じ雑誌でトルストイが連続して出てきたから印象に残ったものである。

なお、「図書」のこの号に出ている「文士が体験した関東大震災」というエッセーも興味深い。これについては、また後日にしよう。

- 2011/09/03 -