初心を忘れた者たち

またまた学生の不祥事。定番の強姦である(笑)。
京都大(京都市左京区)のアメリカンフットボール部の元部員が、酒を飲ませて泥酔させた女子大生2人に集団で性的暴行をした」という(朝日新聞2006/01/27)。この大学のアメフトといえば、国公立大学の中では最初のアメリカンフットボール部として創部されたものの、御多分にもれず、長期間にわたって「鳴かず飛ばず」で、その戦果は低迷続きだった。

しかし、十何年か前に、悲願の日本一の栄冠に輝いたことがある。あの時は、運動などとは無縁な学生もそのルールを覚えて応援、当時の西島総長(東大・京大以外では学長)も甲子園まで出向いて、優勝の直後に「これこそ文武両道をいくもの、学生の鑑だ」と述べて感涙に咽んだものである。まさに狂喜乱舞の夜であった。しかし、その感激も今は昔。それを共有する学生もいない。広い意味では初心を忘れてしまったものといえる。今では強姦の破廉恥三昧。嘆かわしいかぎりである。

最近でも、これと似たものにライブドアがある。今世間を騒がすライブドアも創業時は純真な夢をもった会社として出発したはずである。しかし、創業時からのメンバーは堀江某以外はすべて去っていき、初心を忘れやすい環境もできていた。そして、いつのまにか初心を忘れ、今や株主を食い物にすることだけを目的とした前代未聞の破廉恥会社に陥ったものであろう。

思えば、もっと初心を忘れた者の代表は日本国民であるのかもしれない。その昔、憲法9条などの改正の動きに対して、我妻栄が次のように述べたことは有名である。
終戦当時に新憲法に送った拍手を想い起こそうではないか。新憲法の掲げる国民主権・人権・平和の三原理に対する感激を新たにしようではないか。
- 我妻栄「国民の権利か国民の義務か」(岩波書店「世界」主要論文選438p) -
しかし、これも今では戦後生まれが圧倒的多数である。初心など感じることもない者には馬の耳に念仏かもしれない。しかし、初心忘れるべからずである。「初心」の伝承は必要なのではないか。

- 2006/01/27 -