知的刺激を得る機会

学校という所を出てしまうと知的な刺激をうけることはあまりなくなる。そういう中で唯一の刺激になるのが本である。少なくとも良質な情報という点では本はインターネットの軽薄な情報をはじめとして新聞・雑誌・テレビ・ラジオなどをはるかに凌駕する(ただし一部の俗悪書は除く)。

孔子の「論語」に次のような有名な言葉がある。
論語
子曰、學而不思則罔、思而不學則殆、
学びて思わざればすなわくらし。思いて学ばざれば則ちあやうし。
[論語 巻第一 為政第二]
- 金谷治訳注「論語」(岩波文庫)33p -
論語に出てくる「学ぶ」とは、本を読んだり、先生に聞くなどして、外から知識や情報を習得することをいう。
本から知的刺激を得る場合でも、「読み」かつ「考える」ということが基本である。

ただし、孔子は「読む」ことのほうを重視していたようである。
子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思、無益、不如學也、
吾れかつて終日食らわず、終夜ねず、以て思う、えきなし、学ぶにかず。
[論語 巻第八 衛霊公第十五]
- 金谷治訳注「論語」(岩波文庫)220p -
何を「考える」にしても、「考える」ための基礎知識(材料または素材)がなければ、やはり「考える」ことはできないからである。

この点について、ショウペンハウエルは「読書について」でやや異なったことを述べている。
読書について
読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた後を反復的にたどるにすぎない。(中略)。だが読書にいそしむ限り、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない。(中略)。ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失って行く。常に乗り物を使えば、ついには歩くことを忘れる。
- ショウペンハウエル「読書について」(岩波文庫)91~92p -
これは「本を読むな」ということではない。「読む」だけではダメだということを反語的に強調したものである。

また、本を「読んで」、それについて「考えた」あとのことなら、その本に書いてあることに「惚れ込んで」、それを自分の考えとして取り入れたところで何の問題もない。ただし、中途半端に取り入れたのではまったく意味がない。いわゆる「付け焼刃」では最悪の場合は人格の分裂をきたすことになる(笑)。

そして、このパターンの達人の境地として、 内田義彦「読書と社会科学」に次のような指摘がある。
読書と社会科学
ウェーバーの本を読んでウェーバーについて詳しく知ったところで、ウェーバーのように考える考え方を身につけなければ意味がない。
- 内田義彦「読書と社会科学」(岩波新書)3p -
「取り入れる」ならここまでいかないと「ホンモノ」ではない。そこまで真剣に「読め」ということである。いわば「毒を食らわば皿まで」である。しかし、本が「毒」になることはまずないから、まあ安心ではあるが(笑)。

しかし、これと同じようなことは中学・高校で覚えたお馴染みの吉田兼好「徒然草」の中にも出てくる。
狂人の真似とて大路を走らば、則ち狂人なり。惡人の真似とて人を殺さば、惡人なり。1)を學ぶは驥の類ひ、しゅん2)を學ぶは舜の徒なり。偽りても賢を學ばんを、賢というべし。
- 吉田兼好「徒然草」(岩波文庫)第八十五段 -
NOTES
1) すぐれた馬。
2) 中国古代の聖人君子。

たとえうわべだけでも、偉い人の真似をずっと押し通していくなら、それは偉い人だといってもよい。昔の人はいいことをいう。臆することなくそういう人のマネをどんどんしていけばいいのである。ただし、中途半端なマネは百害あって一利なしであるが。

- 2014/12/31 -



ところで、上の「徒然草」のフレーズの直前には次のような部分がある。
この人は下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、假にも賢を學ぶべからず。
- 吉田兼好「徒然草」(岩波文庫)第八十五段 -
しかし、これが講談社文庫では次のようになっている。
この人は、下愚の性、移るべからず。いつはり、小利を辞すべからず。かりにも愚かなるを学ぶべからず。
- 吉田兼好「徒然草」(講談社文庫)第八十五段 -
「賢」と「愚」とでは、まるで正反対である。これはどの本を底本にしたかによる違いのようである。岩波文庫は「烏丸光広本」で、講談社文庫は「慶長初年刊雲母摺古活字版」のようである。

「この人は下愚の性~賢を學ぶべからず」では、「こいつはバカである。こういうバカは賢を学ぶ(賢い人の真似をする)ことはできない。」のように、「べし」を「可能」の意味に解釈することになる。

「この人は、下愚の性、~愚かなるを学ぶべからず」では、「こいつはバカである。こういうバカのすることの真似はしてはいけない。」のように、「べし」を「命令」の意味に解釈することになる。

どちらにしても、その実質的な内容には大差はないと思われる。