選挙前、消費増税の公約を撤回して、「新しい判断」と言ってのけた首相の朝令暮改について、増税延期は有り難いのだから言葉などはどうでもいいという(以下略)。この作家の目に映った今の日本人の心象であろう。今さらながら、政治意識が低く、ゼニカネのことにしか関心がない。朝三暮四のサル並みの愚国民に対する嘆きである。
憲法前文の主語が国民から国家に変っても大したことではない。それよりとにかく景気対策を!
この先起きるであろうことへの想像力を決定的に欠いてはいるが、(以下略)。「想像力がない」というのは「考える力がない」「こいつはバカだ」というのと同じ意味である。それをやんわり言い換えただけである。これは文筆業者の常用的言い換え用語(cb_0095)である。正面切ってバカだというと商売に響くからこれは致し方ないだろう。
筆者にはいま、自身の視線が少しずつ同時代を離れてゆきそうな予感もある。こういう愚国民について考えたりするのはもう無意味だという諦念がありありとうかがえる。これは多くの文化人と称する種族に共通に見られる現象であろう(bk2_0118)。
小説家は人間への眼差しを捨てることもできない(以下略)。さすが、文化人。「あるべき」姿を語ろうという気がまったく消えたわけではないようである。フーテンの寅さん流にいえば「見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ」である(ただし筆者は女だからフンドシは不適切/笑)。この点はわれわれも頂門の一針とすべきかもしれない。せいぜい言いたいことは言っておこう。