よくできたウソ

最近きいた話で、これは「よくできたウソ」だなあと感じたものである。英語の命令文にはなぜ動詞の原形を使うのか。こういうこと考えたこともなかったし、そういうものだとハナから思い込んでいた。しかし、その「説明」は次のようなものだった。

いわく、「am, are, is などのように動詞は主語に応じて形が変わる。命令文には主語はない。だから、動詞の原形を使うのだ。」というものである。これはある中学生用の学習塾の講師の先生が生徒に対して述べていた話だということである。

さすが受験用のわかりやすい説である。しかし、命令文では「主語はない」のではなくて、主語はあるがそれが省略されているだけのことである1)。また、主語の出てくる命令文も多々ある2)
NOTES
1) 命令は普通相手(二人称)に対して直接呼びかけるものであるから原則として主語を用いない。(中略)。主語を強調したり(相手に注意を促すなどの)、または特にだれに向けられた命令であるかをはっきりさせるため(Iと対照する場合など)に主語を用いることもある。
井上義昌「詳解 英文法辞典」(開拓社)675p以下(Imperative Mood)。
大塚高信・五島忠久「英文法小辞典」(研究社)137p以下(Imperative Mood)。
2) 命令の対象が第二人称以外の場合:-普通letを使わない昔の形を用いる(井上683p)。
Be it ever so humble,there's no place like home.
Come what may,I am bound to see him.
Be the matter what it may,always do your best.

このことを考えれば先の説は根拠のない受験用のいい加減な説明にすぎない。むしろ間違いだといった方がいいだろう。しかし、よくできたウソだといえる。

こういう説明をするぐらいなら、はじめから天下り式に「原形を使うのだ」と言うほうがマシではないか。相手が「それはなぜなのだろうか」と疑問をもったときには、自主的に調べようとするだろう。できすぎたウソを教えるよりははるかにいい。

- 2000/05/14 -


「正」の意味

その昔、小学校で正比例や反比例について覚えた。ところで、小学生相手の学習塾などでは、この場合の正比例の「正」は正の数の「正」だと教えているところがあるらしい。いわく、小学校では「正」の数しか出てこないからだという。しかし、謬見もはなはだしい。浜の真砂は尽きるともゴマカシのネタは尽きまじ、というところか。

まことしやかなウソは考えようによっては害悪の垂れ流し(公害)にも等しい。というのは、小学校ではもともと「正の数」や「負の数」という概念自体が出てこないから、これが「正の数」の「正」を指すというのは単なるこじつけでしかない。正比例という概念はたとえ負の数であっても使用できる概念である。

この世界(数学)の用語としても、正の数は plus number , positive number であり、負の数は minus number , negative number で、正比例は direct proportion である。direct は「全くの」「絶対の」という意味であり、そこには正の数を表す意味は含んでいない。正比例とは、2つの変数(これは正負に無関係である)の比が常に一定である、という関係を保っているという意味である(完全なる比例/絶対的な比例)。

日本語の用法としても「正反対-反対」などと同じく、「正比例-比例」も「正」は単に強調の意味を表すプリフィックスに近いものである。したがって、正比例を縮めて比例というが、意味はどちらも同じである。意味が同じであるから縮められるのである。

ちなみに、これとは直接は関係がないが、ヘーゲルの弁証法の基本概念として有名な、正-反-合による止揚(aufheben)というのがある。これは、二者対立する場合の一方を「正」(当然、善悪という価値判断は含まない)とし他方を「反」とする。その両者を合わせてより高次な段階で統一することである。諸科学の淵源は哲学にあるといわれる。ここに出てくる「正」と「反」の用語法も参考になる。いずれにしても正の数、負の数という意味の「正」とは根本的に意味が異なるものである。

- 2001/07/26 -


バカがバカを作る

新聞に入っていた某学習塾のチラシで見たこと。「当塾ではここまで指導します。中2内容で大学入試センター試験の問題が解ける」というもの。
この塾では次のようなものを教えているという。
参考
The teacher is loved by his student.
Such a machine will be made in the near future.
助動詞「will」のあとはbe動詞の原形がきます。
それで、当塾の「指導内容」で次のセンター試験の問題が解けるという。
参考
Let's go ahead and do it. Nothing [ ] by just waiting.
(1) will be gained   (2) will gain   (3) has gained   (4) gains
gainは分からずとも[ ]のあとに「by」とくれば、受け身の形とピンときます。答えは(1)とわかるわけです。
かように当塾ではレベルの高いことを教えているというわけである。
というようなことがその宣伝チラシに書かれている。

ふぅ、である。受験産業の一端をかいまみることができて興味深い。つまるところ中学2年で「受け身」というものをおぼえる。be + 過去分詞 + by という形があるから、by の前は受け身という単純な発想である。そしてこの単細胞思考にピッタリあてはまる問題を探し出してきて宣伝材料に利用するという古典的な手法である。どこの受験産業でもやっていることとはいえ、ちょっと気になる点がある。

まず、「gainは分からずとも」というが、意味もわからないのに言葉(英語に限らず)を教えることにいかほどの価値または意味があるのか。受験産業の限界とはいえ、意味はわからずとも当ればよい、点がつけばそれでよい、というのではまともな教育とはいえないだろう。

また、「by とくれば、受け身」という単細胞的発想もどうか。たとえば、問題が次のようなもの(単語自体は中学レベルである)だったとしたら、果たしてこの塾の説く中学2年的論法で正解が出せるだろうか。
参考
He [ ] by me.
(1) was stood   (2) stood
意味も「分からず」に言葉(英語)を教えることの無意味さを認識するべきであろう。

さらに、問題はもっとある。このチラシに出ている例文の「The teacher is loved by his student.」の異常さである。これではある特定の生徒と教師が愛し合っているという異常な状態を述べていることになってしまう。受験英語にしか携わったことのない人間がでっち上げた英文の典型である。形の上では間違いではないが意味するところを考えない文である。通常はこういう書き方はしないはずで不適当極まりなく、あいた口がふさがらない。

- 2003/12/28 -