無知がはびこる社会

共謀罪法案についての街頭インタヴューについて次のような指摘がある。
「あなたは共謀罪法をどう思いますか?」「私は法案については何も知りません。でも共謀罪は私には関係がないので、賛成です。」
ここでは何も知らないという前提から、共謀罪法は自分に無関係という、これまた理由のない思いこみを経て、最後に法案に賛成だという政治的判断が導かれている。これは、例えば、政治というものはバカバカしい、なんの興味もない、だから自分は投票所には行かない、という政治的行為(棄権もまた一種の政治的行為)と通底するところがある。知らない、関心がない、興味がない、ということを枕にして、政治的判断、政治的行為が導かれている。しかもこの判断・行為がマスコミでは、これが若者の現実だ、政治家はこの現実を直視せよという文脈で取り上げられるから、本人は自分の無知や無関心に恥入らなくてすむという仕掛けになっている。
- 間宮陽介「非政治化する時代の政治」(「世界」2017年12月号(岩波書店)66p) -
確かに、これは最近の若い者に普通に見られる生態のひとつである。

しかし、それは若い者だけに限らない。無知がはびこり横溢する日本の社会のいたる所に見られる現象である。こういう人には論理は通用しない。そういう論理を理解する知能もない。彼らの発想の原点は「知らない」ということにあるからである。考えることをしないから論理を説いても無意味かつ無駄である。まさに「馬の耳に念仏」である。

そんな無思考人間でもなにかの行動原理に基づいて判断し、行動している。それは小さい頃に刷り込まれた、または覚え込んだ「偏見」と「思い込み」である。そこからはほとんど進歩していない(だろう)。この点について、精神病理学者でカナダ政府の高官でもあったキスフォルムは「精神の未来」という論稿の中で次のようなことを書いている。
ただたんに子どものころに、あるいは敬愛する人びとから教えられたというただそれだけの理由で、多くの人びとは多くの真実でない不合理な確信をもちつづけている。(中略)。しかしこれこそは、人間の主要な問題を生みだし、しかも今日、人間の生存を脅かしている精神のはたらきの誤った用法を示していると言わねばならない。
- キスフォルム「精神の未来」(中央公論社「世界の名著66 現代の科学Ⅱ」)505p -
人間などは放っておけば、「雀百まで踊り忘れず」「三つ子のたましい百まで」の状態である。何らかの外的な契機がなければ、これは変わらない。変えられない。精神の内部にしみついた「不合理な確信」を検討させる外的な契機の主なものは勉強であるが、いかんせん、勉強しない者が人間の圧倒的多数派である1)。その意味では「精神の未来」は暗いといえる。
NOTES
1) 各種の統計調査によれば、日本人の50%は選挙に行かないサル(各種選挙の投票率から)、20%は文章の意味が理解できないバカであるという。


そしてこれが政治業者となると、上に出てきた「若者」とほとんど同じような幼稚な思考法のオンパレードである。根拠も何もない放言の垂れ流しである。
NEWS BOX
足立議員が「犯罪者」発言を謝罪 「捏造」は撤回せず
足立氏(日本維新の会)はこの質疑で、「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書の存在を報じた朝日新聞の記事についても、「捏造(ねつぞう)」と繰り返していた。ただ、この発言については17日、国会内で記者団に「撤回の考えはない」としたうえで、「今も捏造だと思っている」と語った。
- 朝日新聞2017/11/17 -
日本維新の会は最右翼の隠れ自民にすぎないから、政府自民党のお先棒を担いでくれる便利な「おサルのかごや」だとしても、同業者(政治業者)を「犯罪者」としたことについては、どこそこから政治献金をもらっているなどと「証拠」らしいものをあげていたのに、同業の政治業者の仲間意識またはこれから先の「持ちつ持たれつ」の関係を重視して簡単に謝罪している。

しかし、「捏造」については、それにあたるような証拠や根拠は何一つ出していないのに、こちらについては撤回はしていない。この論理のアンバランスさはそっちのけである。こうなると、もう「思考」とは言えないレベルである。単にこのオトコが「捏造だと思っている」から「捏造だ」と断定しているだけである。つまるところ、単なる「思い込み」にすぎない。そんなものがマスコミに流れるのがもう異常である(末期的症状か)。

- 2017/12/31 -