企業は業績悪化の時を考え、いつでも削減できるボーナスで利益を配分し、基本給の水準を抑えようとしている。この結果好業績は、その企業、その産業内で吸収され、他産業の企業に波及しにくくなる。これが、一九六〇年代の日本の高度成長期との違いである。いわば、一点豪華主義(一時金方式)である。この方式は多くの企業でずっと前からとられていたように思う(ただしその起源は60年代ではない)。では1960年代はどうだったのか。
- 伊東光晴「安倍経済政策を全面否定する 円安をひきおこしたものは何か」(岩波書店「世界」2018年5月号85p) -
六〇年代は、総評が各労働組合を動員していっせいに賃金引上げを求めて経営者団体と対決し、生産性の上昇のないサービス業なども、製造業などの賃上げにひきずられて、賃金が上昇し、それを価格に転嫁した。いわば、広く浅くの全体底上げ方式である。このような、賃金の上昇→コスト上昇→価格に転嫁できたのは、ひとえに労働組合の存在、広い意味では対抗力の存在、によるものである。
- 同書85p -
六〇年代と現在の違いのひとつは、この対抗力の有無である。労働組合の衰退、弱体化、労働者政党の崩壊である。それにしても、60年代とは古い、今から50年以上も前のことである。古き良き時代だったといえば、そうだともいえる。2016年度の労働組合の組織率は17.3%である。その弱体化は顕著である。しかもその中心に位置する「連合」も官公労(公務員)と大企業労組が主体である。これでは全社会的な影響力を行使できることはないだろう。その意味では「衰退」といえる。
- 同書86p -
労働分配率は、二〇一三年の七二・三%から二〇一五年六七・五%に低下している。いかに労働者の力が弱いかがわかる。そしてその背後には、社会の保守化がある。「保守化」とは、ここでは自民党と同じような考え-いわゆる企業寄りの考え方-をする者が多くなったということである。それは、今の「連合」の考え方をみればよくわかる。企業あっての労働組合だ、企業と運命共同体だと考えている。自然に企業寄り、企業側の言いなりになって同調するようになってしまう。実質的には、労働者サイドに立った労働組合などないのと同じである。
- 同書86p -