常識のチカラ/迷惑今昔

今と昔とは同じ言葉でも意味が異なる語が多々ある。「迷惑」もその一つであるとして、最近きた「図書」12月号に次のようなエピソードが出ていた。
 先日も狂言を見ていたら、大名の命令に太郎冠者が「迷惑でござる」と言った途端、観客の方々が爆笑していた。おそらく主人の命令にぬけぬけと不快感を表明する太郎冠者の図太さを笑ったのだと思われるが、あれは、どちらかと言うと「困っちゃいますねぇ~」ぐらいのニュアンスではないだろうか。
- 清水克行「「迷惑」な話」(岩波書店「図書」2021年12月号1p) -
「迷惑」という言葉は、現代では「不快」「拒絶」などの意味合いをもつが、中世では「困惑」という意味だったという。このギャップが「爆笑」をさそったものである。いつもならここで、「へぇ~、そうなの」だが、実は、こんなことは、どこそこの大学のお偉い先生がたに聞かなくても、その多くは中学や高校などで覚えたこと(ここでは「常識」と呼ぶ)なのである。これと同様のことは以前に「大器晩成」の例もあった。しかし、当時は受験勉強一色(他の科目もいろいろ詰め込む必要があった)で、そういう「余分なこと」は切り捨ててしまっていただけのことだったのだろう。

さて、「迷惑」という語。高校入学と同時に学校指定というので買わされた古語辞典が部屋の下の方の層に堆積している。それを掘り出して見てみれば、次のようなことが書いてある。
めいわく【迷惑】名・形動ナリ どうしてよいか迷うこと、途方にくれること。「重盛しげもりも-せられけるが」[平治] 「ある時おほかめのどに大きな骨を立てて、-ここに窮まって」[伊曾保] (同)困惑・当惑。
- 武田祐吉 久松潜一編「改訂版 角川古語辞典」(角川書店)1013p -
要するに、今使われているような意味とはちがって、「ちょっと困ったなぁ」という程度の意味であることは、とっくの昔に「覚えたはず」のことなのである。あれから幾星霜。昔のことはすっかり忘れて現在にいたっている。そういう中学・高校程度の常識をもういちど見直してみれば、「へぇ~、そうなの」という現象も減ってくるのではないかと思う。

- 2021/11/30 -