調子のいいコラム

朝日新聞に「経済気象台」というコーナーがある。2012年2月2日に「大学と品質管理」と題するコラムが出ている(筆者は「堤琴」というペンネームの人)。「学力のない学生」が多すぎることを嘆き、最後に「大学の奮励努力を強く望む」で終わっている。内容的には新奇さはなく昔から言い古されたことばかりで何をいまさらという感じがするものである。

ところで、この筆者はかつて教壇に立っていたことがあるという。ならばその時にそういう現状を改革しようとしなかったのか。学力のない学生の大半が推薦入試で入ってきたことがわかっているなら、教員の時にそういうことを大学側に伝えて事態を打開する努力はしたのだろうか。「高校の課程はおろか、中学の課程すら怪しい学生を受け入れ」てきた状況を改善しようとはしなかったのか。学力の低い学生を世に出さないようにせよというが、筆者はそれを実行したのだろうか。

おそらく、この元教員は波風立てずに、大学側の意向に唯々諾々と従って、のうのうとサラリーマン教員をしてきただけだったのではないか。「不良品」で「粗悪品」のゴミやカスのような学生でも、数を集めて商売する。多数集めて多数送り出して、回転をよくして受験料・入学金と授業料で稼ぐ。人数で金額が増える補助金にありつく。こういう営業第一の大学側の方針に異を唱えれば自分の首が危うくなる。そういう保身意識が働いて結局は何もせずに無難に「おつとめ」してきただけではないのか。

そして、そういう立場を離れたら今度は一転して、大学側は何の努力も責任も果たしていないと勇ましく書き立てる。自分がしなかったこと、できなかったことは棚に上げて、「大学の奮励努力を強く望む」などとは鉄面皮もいいとろこである。どのツラ下げてそんなことが言えるのか。調子がよすぎるのではないか。この厚顔無恥にはあきれはてる。

それにしても、こういうチンピラ教員が大学にいるからいつまでたっても「不良品」「粗悪品」の製造装置から脱することができないともいえる。先従隗始(まずかいよりはじめよ)である。大学はこういうチンピラ教員から「教育」していくのが先決であろう。学生の教育はその次でもよいのである。

- 2012/02/05 -