誤読冤罪

愚民党暴言譚で出てきた杉田議員への援護射撃である。少し前は「ご飯論法」ということが言われたが、ここでは今まで何度も出てきた御用学者特有の論法が出てきている。これも見飽きた、聞き飽きたパターンである。
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杉田氏「生産性」発言に広がる批判 自民党本部前で抗議
一方、保守系の論者からは、杉田氏への批判に対する疑問の声も聞こえる。教育研究者の藤岡信勝氏は「一方的に批判する人は、文章を正しく理解していない」と指摘。「『生産性』という言葉は、杉田さんが日常的に使っている言葉ではなく、引用符が施されており、政策論議のための次元の違う用語として引用されているだけだ。今回のことは、誤読に基づく冤罪(えんざい)というべきものだ」という。
- 朝日新聞2018/07/27 -
「生産性」という言葉の使い方をいかにも「学者ふう」に解説しているが、この議員の述べた内容については何ら踏み込んで述べてはいない。にもかかわらず、「文章を正しく理解していない」、「誤読」しているとして、いかにもこの議員の述べていること全部が正しいのだという印象を持たせるようにしている。ここに保守の論調の常套手段、巧妙な論理のスリカエを見ることができる。

これと同じ論法は、かつて「誤報の虚報化」で使われたものと同じ種類のものである。要するに、重箱の隅を突っつくような小さな部分、問題の本筋に関係のない一部分だけを針小棒大に取り上げて、ここでは「生産性」という語にカッコが付いていることから、書かれている内容全体を強引に正反対のものにしようとする手口が見てとれる。

言葉にカッコを付けるなどはそんなに深い意味(や政策的考慮)があってやっているものではない。せいぜい、強調するためにとか、他とは違うニュアンスで使っているとか、を明示する程度である。ここでは「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」とあるように、この文脈からいえば、ここでの「生産性」は「子供を産む・産まない、作る・作らない」という意味で使われていることは明らかである。まがりなりにも「御用」が付くとはいえ「学者」と言われる種族に、その程度の読解力もないとは情けないかぎりである。

普通の人はこういう場合はそんな語は使わない。「あの家は子だくさんだ」「あの夫婦は子供が多い」とは言うが、「あの家は(子供の)生産性が高い」とは言わない。それで、他の場合とは違うニュアンスで使っているための「カッコ入れ」であろう。

いや本当は、そんなことはこの御用学者にもわかっているのだが、なにか屁理屈を探してきて自民党を擁護したい(恩を売っておけば後でご褒美が出る)という御用学者特有の意識が先に出てきたのであろう。それで、これが「労働生産性の向上」などという使い方で出てくる「政策論議」のための用語と同じものだと強引にこじつけて牽強付会に走ることになる。もう見苦しい限りである。

それにしても、今まで差別的な暴言や知能程度が疑われ失笑を買うような妄言を連発してきたこの議員にどんな生産性のある「政策論議」があったのだろうか。この御用学者もそれを聞かれれば返答に窮したことであろう(笑)。なお、ここでの生産性は世間一般的な意味で使っているためカッコに入れていない

- 2018/07/30 -