オウム事件と大逆事件

「世界」2018年9月号をパラパラと見ていたら、7月にオウム真理教事件での死刑囚に刑が執行されたことについて、大逆事件と対比していたものが二つあった。一つは「人の死に鈍感な社会」というタイトルの読者の投稿で、もう一つは「メディア批評」という常設コラムである。

しかし、一度に死刑が執行された数が多いことが共通しているぐらいで、それ以外に大逆事件とオウム真理教事件とは何の関係も関連もないような気がする。特に気になったのが後者の「メディア批評」の次の一節である。
同じ日に七人の死刑執行は、大逆事件の一一人処刑(明治四四年)に次ぐ多さである。共通するのは、国家権力の否定(アナーキズム)に対する強い憎悪の表現と見えることだ。
- 神保太郎「メディア批評」(岩波書店「世界」2018年9月号45p) -
両者の共通点として「国家権力の否定(アナーキズム)」があると見て、死刑執行はそれに対する「強い憎悪の表現」によるものだとしている。どうもこれに引っかかってしまうのである。ただ、戦前回帰を目指す安倍極右政権としては、戦前と同じように死刑を執行してもほとんど抵抗感はもっていないだろう。

オウム事件はアナーキズムの発現だったのか。それはないだろう。では、大逆事件はどうか。大逆事件といえば反射的に幸徳秋水の名前が浮かんでくるが、あれはアナーキズムが原因になったものか。確かに彼は後年になってアナーキズムというものを知ったが、ただその程度のものだった(それに基づいた目立った活動はしていない)。理屈をこじつければ「風が吹けば桶屋がもうかる」という程度の「桶屋の論理」でつなげることもできるだろうが、何となく違和感を感じてしまうところである。

大逆事件は、1910年(明治43年)、宮下太吉、菅野すが子ら数人の急進的無政府主義者が、明治天皇が諸悪の根源だとしてその暗殺を計画した。それを機に政府は多数の社会主義者を逮捕し、翌年そのうちの12名が死刑になった(同時に処刑されたのは11人で、菅野の処刑はその1日後)。首謀者とされた幸徳秋水はこの事件には関与していなかった。また、処刑された者の中には無実の人も多かったといわれている。今で言えば冤罪である

この当時の明治政府が危機感をいだいていたのは、いずれ日本にも西欧諸国のような社会主義運動や労働運動が高まってくるのではないかということである。当時の支配階級はそれに対して自分たちの地位をおびやかすものとして脅威を感じていたはずである。アナーキズムではなかった。

大逆事件をきっかけにして社会主義や労働運動・農民運動を取り締まるための組織として特別高等警察(特高)が作られたのもそれを物語る。もっとも、当時は取り締まる側も社会主義もアナーキズムも明確な区別はしていなかった(知らなかった)だろう。なんせ、「昆虫社会」と題する昆虫の分類図鑑が、「社会」が付いているのでこれは危険思想を説くものだとされて発禁処分になったほどである。要するに、政府を批判するものは片っ端から引っ張っていったというのが実際のところだろう。いずれにしても、大逆事件で「アナーキズム」を前に持ち出す点がちょっとひっかかるのである。これは記憶違いがあるかもしれないので後日の検討課題にしておこう。

- 2018/08/08 -