週刊誌の無意味な批判

新聞を批判するためだけの批判である。書いている内容はカラッポである。
NEWS BOX
投げ捨てられた「報道主権」
各紙の報道はどれも御説ごもっともだが、何より知りたいのはゴーン被告がどのようにして逃亡したか、その報道がどうにも歯痒い。(中略)。日本国内で起きた出来事を、なぜ海外メディアの報道を転電する形で伝えるのか。自分たちの取材には自信がないので、海外メディアの報道に依存していると言っているように思えてならない。この「報道主権」とでもいうべきものを放棄している姿勢に危うさを感じる。(中略)。こんな記事が蔓延するのであれば、新聞など読む必要はない。
- 週刊文春2020年1月16日号「新聞不信」 -
日本の警察発表を「自信」をもってそのまま書けば「報道主権」で、外国の記事を伝えれば「報道主権」を放棄しているというのは笑止なことである。ましてや、ゴーン被告が日本の司法・警察・マスコミなどに敵意をもっている(好感はもっていない)。取材等について海外のメディアとは接触しても、日本のメディアには拒否している。そんな状況下で、このニュースを伝えるとなると海外のメディアのものに依拠するしかないであろう。

現状では、警察をはじめとする強制的な捜査権をもつ機関であっても脱出の実態がつかめていない。そんな中で、一個人であるにすぎない記者、または民間企業である新聞社にその解明を求めるのは実質的に不可能を強いるものである。また、それは、できないことを求める「ないものねだり」であろう。もし、これを書いている人間が報道関係者であるなら、自分が真相を解明したらどうか。それこそがこの筆者のいう「報道主権」を身をもって実践することになったのではないか。そうすれば、オレにはできるのに、オマエらがやらないのはけしからん、ということにも説得力がでるはずである。

それもできずに高みの見物よろしく、他の新聞だけを批判する。そのノーテンキさにはあきれるばかりである。読む必要がない(読む価値もない)のはこういう週刊誌記事のほうである。

なお、このコーナーは保守の論調(自民党の提灯持ち)で一貫しているが、そこでは野党は批判ばかりして対案がないというのが定番の文句が頻出する。ところが、ここでは自分は高見の見物を決め込んでおいて、ただ他を批判しているだけである。この週刊誌子(この記事を書いているオトコ)も大差はない。そのご都合主義、身勝手なところも丸出しである。
NOTES
1) 実際は対案(提案)はあるのだが与党(自民党)が無視を決め込んでいるから表には出てこないだけなのである。

- 2020/01/17 -