春から夏の京都(京都)

風のうわさを信じて今日からは。あの人の姿なつかしい、たそがれの河原町。古い歌である。渚ゆう子の「京都の恋」「京都慕情」の出だしである。こういう歌を京都によくあるアンティークな喫茶店で聞くとまた格別なのかもしれない。 桜にちなんだ与謝野晶子の歌。

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき

清水は桜の名所。今宵は清水の夜桜を見に行くのであろう。桜月夜(さくらづくよ)の祇園の通りで、今晩すれちがう人はみな美しい。京都は美しい、なかでも祇園ははなやか。美はそれだけで意味があるというのであろう。

時は夏。京都の夏の風物詩、床と祭りと火のシーズンである。

朝、眠っているような門構えの狭い先斗町の路地。昔ながらの京都名物の「床」が出ている。 祇園祭の宵山に、そこの床に初めて入る。先斗町のあの細い路地と、昔ながらの門構えを見ると、なんとなく料金も高そうな感じがしたが、幸いそこは喫茶店だった。料金もリーズナブルだった。鴨川の床で夕涼み。京都情緒が満喫である。以後、夏になるとその店に入ろうと試みたがいずれも満員。あの時は、偶然に入れて座れただけでも幸運だったということか。

昼は、祭りの熱気でさらに暑くなる。祇園祭のとき、烏丸御池のあたりで、鉾から「ちまき」を投げていた。その「ちまき」を回りの人との激しい争奪戦のあと(笑)にやっと受け取る。縁起ものだから結構うれしい。「ちまき」は食べ物だと思って、中を開けてみるとカラッポ。 食べ物を投げるのはよくないということで、形だけにして、中には何も入れていないらしい。

夜は、送り火。夏の京都は暑い。初めて見たのは高野川沿いの洛北高校前のビルの屋上のビヤガーデン。涼風とビールの冷たさが心地よい。 左右の大文字と舟形ぐらいが見えて15分ほど。 その昔、吉田山から見える「大」の文字は毎日のように見ていたが、点火されたのを見たのは初めてである。 町のざわめきが一瞬の間、シーンと静まりかえったようになり、ちょっと神秘的に雰囲気になる。 「緑の夏の芝露に、残れる星を仰ぐ時1)」、今その胸に湧きかえるのは・・・。
NOTES
1) 旧制第三高等学校逍遥の歌の一節。沢村胡夷作詩。なつかしの寮歌集



YouTube/渚ゆう子-京都の恋
YouTube/渚ゆう子-京都慕情

新聞記事



漱石の「門」の主人公が過ごした京都の学生時代の一節である。
二人は毎晩のように三条とか四条というにぎやかな町を歩いた。時によると京極も通り抜けた。橋のまん中に立って鴨川の水をながめた。東山に出る静かな月を見た。そうして京都の月は東京の月よりも丸くて大きいように感じた。町や人にあきたときは、土曜と日曜を利用して遠い郊外に出た。宗助は至る所の大竹薮に緑のこもる深い姿を喜んだ。松の幹の染めたように赤いのが、日を照り返して幾本となく並ぶ風情を楽しんだ。ある時は大悲閣へ登って、即非の額の下にあお向きながら、谷底の流れを下る櫓の音を聞いた。その音が雁の鳴き声によく似ているのを二人ともおもしろがった。ある時は、平八茶屋まで出かけていって、そこに一日寝ていた。そうしてまずい河魚の串に刺したのを、かみさんに焼かして酒を飲んだ。そのかみさんは、手拭をかぶって、紺の立付みたようなものをはいていた。
- 夏目漱石「門」(角川文庫)140p -