小値賀島(長崎)

小値賀島おじかじま1)は長崎県の五島列島の北端にある小さな島である。この島については、確か1973年頃だったと思うが、作家の壇一雄(女優の檀ふみのパパ)が当時の日本交通公社(現JTB)が発行していた月刊誌の「旅」という雑誌に「小値賀島の宿」というタイトルで寄稿していたのを読んだことがある。そして、最近の中学の国語の教科書を見る機会があったときに、航空写真入りで小値賀島のことについて書いてある文があった。高田宏という人の文だがタイトルは覚えていない2)
NOTES
1) 小値賀島は、五島列島の北部にある火山島で、島は玄武岩質の溶岩流の台地の上にあり、海岸線は出入りに富む岩石海岸になっている。 正式名称は「おじかじま」と読む。ちなみに、この島は行政区分上は長崎県北松浦郡小値賀町であるが、こちらの方の読み方は「おぢかちょう」である(「じ」と「ぢ」の違い)。
2) この点について最近下記のような検索エンジンからの呼び出しがあった。これがその文のタイトルかもしれない(未確認)。
219.206.10.103 [03/Oct/2010:11:53:18] 高田宏 島で見たことから
175.105.78.171 [09/Sep/2012:16:12:48] 小値賀島 あいさつの島 教科書

小値賀島にはその昔に一度だけ行ったことがある。壇一雄の文を読んだ後ぐらいの時である。佐世保から船で数時間。その教科書に出ていた航空写真から見える船着場に着く。港の界隈で一番大きな建物だった。その一階が当時はパチンコ屋になっていた。そんな遊技場はもちろん島に一軒しかない。この港を中心にしてバスが放射状に3路線出ていた。1台のバスが各路線をかけもちして、毎日朝昼夕の3回ずつ運行するというものであった。小さな島だからバスを待つ間に歩いて目的地にまで着いてしまうほどである。確かに何も無いひなびた所だった。こんな離れ小島でも電気は通っていた。

しかし、先の教科書にも紹介されていたように、初対面の通りすがりの人にも向こうから挨拶してくれることには驚いた。港からの道をトボトボ歩いていたら一輪車を押して農作業をしているオバサンとすれ違った。「こんにちは」と挨拶されたが、「はて、だれ?」。今ここで初めて会った人である。反射的にこちらも「こんにちは」と言ったが、他の所ではこんなことはまずないから、あの時は驚いたものである。今、こういう文を読むと、その筆者もそういうことに驚きと感動を覚えたようである。初めて体験すると面食らうが、これは自分だけの体験ではないことをあらためて知ったものである。この島の名物はカンコロ餅(=イモから作った餅)と皿うどんである。いずれもおいしい。

ここに一泊して、翌日はサザエ採りにいく。舟に乗って近くの小さな島に渡る。その島ではサザエがよく取れるという。舟はほとんどタダに近い料金であったのもうれしい。この渡し舟は漁師さんに乗せてもらったものだが、お金を払った記憶がない。その島の磯では手づかみでサザエが採れるのである。小さいサザエは海に返す。これが島での掟である(と聞かされていた)。大きいものだけをその場で焼いて食べる。人工の調味料などは何もないが、磯の自然の香りと味付けがしてあってさすがにうまい。

ついつい思い出す過ぎ去りし昔の日々である。この教科書を見たのは、ちょうど日本の歴史教科書の記述をめぐって中国や韓国から非難を浴びていたときである。とかく非難のネタにされる教科書だが、なかなかいいことも書いてある。

参考資料
1)「五島列島の北端、小値賀島で島暮らしの体験を」(GRAN 2007/1-2月号19p)。
2) 柳田国男「高麗島の伝説」(筑摩書房 現代日本文学大系20「柳田国男集」159p)に小値賀島についての記述がある。



以前は路傍の石のように黙殺されるだけだった僻地の離島も最近はやや「日の目」を見るようになってきたようである。
朝日新聞2010/01/04には「離島 探せば宝の山」と題して小値賀島が紹介されている。人がこなければさびれる一方である。地域振興のために仕方がないとはいえ観光(客呼び込み)路線一直線である。そこでは観光客用にアレンジされた「島暮らし」や「漁師体験」などのシャレた「擬似体験」が町の観光業界によって多数セッティングされているようである。わたしが過去に体験した放浪的島暮らしなどは完全に前世紀の遺物と化しているようである。