鳥小屋

朝日新聞(2003/07/29)の「サラリーマン用語辞典」の記事の中に笑える話が出ていた。この話のオチは結構面白いのだがそれは省略して、次のような出だしで始まる。

証券会社の部長(42)は、昼食時に部下が「今日は社外の人と食べます」と言うと、「人間関係は大事だからな。行って来い」答えるのが口癖だ。 (以下略)。
- 朝日新聞2003/07/29 -
食は人間の生存の根幹にかかわるものである。昼(だけに限らないが)に自分の好きなものや健康によいものを食べるのは、一般的自由説によれば当然であるが、人格的利益説でも基本的人権のひとつであろうと思われる。むしろ当然すぎて問題にもされない種類のものである。サラリーマンにおいてはこの人権は、だれの干渉もうけずに「休憩時間を自由に利用」(労基法)できるという自由利用の原則と相俟って実現され、「人格的自律」がまっとうされることになる(ちと大げさか/笑)。

ところが、閉鎖的な中小企業では昼食時間(休憩時間)に職場内から出ることを禁止しているところがあるという。時代錯誤もはなはだしい。ましてや自由利用を禁止して休憩時間中でも仕事をさせるという。また、その支配勢力内に置くのでは「女工哀史」さながらの「鳥小屋」を彷彿とさせる。その労働環境、経営体質、人権感覚、いずれをとってもその古さは百年ほど前の明治初期と変わらない1)

1) 宮崎勇・本庄真「日本経済図説(第3版)」(岩波新書)108pによれば、明治初期の民間企業の労働時間は1日12時間で休憩の定めはなかった。

もっとも、たかだか個人商店に毛の生えたような程度の中小企業がまともに法律などを守って業務をしているなどとは誰も思っていないから、別に驚くことではない。そんな会社の内部規定でこの重要な権利を制限することはできない性質のものである。しかし、そんなことがわかる者もいないし、言い出す者もいない。下には下があるものである。

この点について、旧労働省が50年以上も前の昭和23年に、まだ人権意識も希薄な時代に出した行政解釈がある。休憩時間中に外出することについて「許可制をとることは必ずしも違法とはいえない」という。この解釈の全文を読めば、労基法が完全に守られているということを前提にして、その中の休憩時間の使い方のひとつとして外出するに際して「許可」制をとっても違法ではないというだけのことである。

休憩時間中の外出「禁止」となれば当然違法なものとされるであろう。また、そもそも労基法が守られていないような会社には、この行政解釈を適用する前提自体が欠けているのである。したがって、先のような禁止はサルならしらず人には当然ながら全く無効のものであろう。

そして、今では外出の「許可」という制度自体も多数の支持を得ているものではない。許可は一般的不作為義務を特定の場合に解除するものである。許可であるとするならば、本来休憩時間は自由に利用できないものであることになるが、これは労基法の規定と正面から矛盾するからである。外出を制限する合理的で相当な理由があるにしても、せいぜい届出制程度が関の山であろう(菅野和夫「労働法 第六判」257p/弘文堂)。

とはいえ、許可制と届出制の違いがわかる者がそういうところにいるハズもない。知らない者には馬耳東風だし、バカは死んでもなおらないし(笑)、ふぅ。
- 2003/07/31 -


地震

寺田寅彦「寺田寅彦随筆集」に移動
- 2003/07/28 -


合併

岡義武編「現代日本の政治過程」に移動
- 2003/07/24 -


北海シマエビ(続)

山本さとし「とっておきの旅100選(東日本編)」に移動
- 2003/07/20 -


メガバンク(1)

今やインターネットでほとんどの銀行取引(使うのは残高照会、振込、定期・投信の購入ぐらいだが)ができるが、預金のために「お金を持っていく」ことだけはできない。久しぶりに近くのSMBC(三井住友銀行)に行く。銀行は一般預金者からみれば金を預かって利息をつれてくれる所(今では無料貸し金庫だが)というイメージしかなったが、金融ビッグバンの影響のせいか、かなりの変貌ぶり。中小の金融機関(信金)に見られるような、ガツガツとなにがなんでも強引に「預金を獲得しよう」というムードがない。少しでも魅力ある金融商品を「売る」という姿勢に徹している。個人に対して「相談」にのって、ていねいに「説明」してくれるなど、以前のこの銀行では考えられなかったことだ。 たとえば、定期預金の利子が今どき1%(ただし、初回のみで継続後は他と同じ)。サービス定期とはいえ、これでは勧誘しなくても自然に集まるのかもしれない。さっそくそれにつられて定期にする(単純)。そうすると特典がつく。これがまたうれしい。キャッシュカードの時間外使用手数料が全部無料になる。ということは、曜日や時間を気にせずに使えるわけだ。さらに驚いたことには、普通預金の利子が定期預金の利子(世間並みの利率で先のサービス定期とは異なる)と同じになるという。これは残高別金利型普通預金というらしい。顧客囲い込みのためにこういうサービスができていることは知っていたが、こういう所にくるのは年に1回あるかないかなので、今まで無縁のものだった。こうなればわざわざ他行の定期にしておく必要などはないことになる(これが本来の狙いだろう)。普通預金ならクレジットカードも使えるし、便利だから全部移し替えだなぁ、これは。。。。メガバンクは変わったというのが実感。
- 2003/07/18 -


祇園祭

林屋辰三郎「京都」に移動
- 2003/07/17 -


情報操作

竹内郁郎「社会的コミュニケーション」に移動
- 2003/07/14 -


愚民列伝-骨董品的言説

親は市中引き回しのうえ、打ち首にすればいい」とは、えらく時代がかった言動が飛び出したものである(自民党の鴻池祥肇議員)。少し前の「強姦は元気があっていい」(自民党の太田誠一議員)以来の、まともにとりあげるのがはばかられるほどのものだが、久しぶりに自民党議員の骨董的言説のオンパレード(笑)。その感覚の古さにいまさら驚きはしないが。

親、担任、校長先生、全部前に出てくるべきだ」(鴻池議員)。いわゆる連帯責任は、古くは、江戸時代に5人組の制度。比較的新しいところでは、戦前、共産主義にかぶれると一族郎党ことごとく非国民扱いされたというのもある。前近代主義的思考の遺物である。

戦後教育を受けた人がパパやママ(校長、教頭、担任、政治家、財界人、役人)になっている。これは大変ですよ」(鴻池議員)。今や国民のほとんどがこの世代に属するのに、相変わらず老人支配のパターナリズムもどきの発想が出てくる。

そして、特異な事例だけをとりあげて戦後教育「全体」を否定するという保守の論調の定番的単純思考。この思考は不可逆的らしく、よい事例をとりあげて「肯定」する方には出てこないところは、さすが戦前生まれの政治屋さんならではのパターンである。

その行き着く先は「勧善懲悪の思想、罰則と道徳規範の強化」(鴻池議員)となる。なるほど、単純でわかりやすい。この単純さが最も必要とされているのはお膝元の政界そのもの(特に自民党)。不正・怠慢・汚職・不適任な政治屋さんたちをバッタバッタと切り倒した方がいいんじゃないの(笑)。
- 2003/07/13 -


D.I.

鈴木正俊「経済データの読み方」に移動
- 2003/07/12 -


国立大学

松本清張「小説東京帝国大学」に移動
- 2003/07/08 -


猫でもわかるか? delegate

まこちゃん、ご質問ありがとうございます。デリゲートというか、もっと具体的には EventHandler の使い方ということではないかな。デリゲート(delegate)は「委任する」という意味(もうこれからして意味不明/笑)。これらに関連のある項目をよく調べるといいでしょう。
- 2003/07/03 -


赤線

教科書裁判で有名な家永さんの蔵書が中国の大学に寄贈されるという(朝日新聞2003/07/01)。その記事の中に次のような一節がある。

本の多くのページには、定規でびっしりと引かれた赤と青の鉛筆の線が残っている。
- 朝日新聞2003/07/01 -
受験勉強の学生のようだが、この方法は本を知的ツールとして利用するには有用な方法であろう。われわれも日常的にやっていることである。もっとも、家永さんのこの読書方法は30年以上も前に出た家永三郎著「戦争と教育をめぐって」(法政大学出版局)という本にも書かれている。その中には、古い本が傷んで同じ新しい本を買ったときも古い本を見ながら同じ所に線を引きなおす、ということまで書かれている。

過去、同じ本を買ったということはそう多くないので、さすがにここまでは真似ができないが(笑)、この一節で意を強くして、本・新聞・雑誌・パンフレットをはじめあらゆる印刷物に線を引くというのは今ではしっかり身についてしまった。あるときは「新聞に線引いて読むのぉ?」などといわれたりしたこともある(回顧)。おかげで、骨董的価値のある本でも古本屋にはもっていけないハメにもなってしまった。もっとも自分以外の者にはただのインクのしみのついた紙くずなのだが(笑)。
- 2003/07/02 -


保身

東芝やHOYAが委員会等設置会社に移行するという。経営の監督と業務の執行との分離、社外取締役の導入を特徴とする新たな(アメリカ流の)企業統治制度である。すなわち、指名・報酬・監査の3委員会の設置(各委員会を構成する取締役の過半数は社外取締役でなければならない)と執行役制度の導入がメインである。この反面、取締役は業務の執行ができず、監査役(会)や代表取締役は置けないことになる。

従来の会社の機関構造とは大きく異なっているところから、導入には抵抗も多い。JR東日本がこの制度について、「取締役や執行役の任期が1年と短い。鉄道事業は経験に基づいた専門的な知識が必要なので、なじみにくい」という(朝日新聞6/27)。もっともらしいが、いかにも現経営陣の保身だけをはかったようなコメントである。従来の制度をとったとしても取締役の任期は最大で2年である。鉄道敷設にしろ新型車両の入れ替えにしろ、2年程度で完成するものではないであろう(他の業種においても事情は同じだが)。たかだか任期が1年か2年かでそう差が出るとは思えない。この制度における1年の任期はもっと別の観点から法定されたもので(弥永真生「平成14年改正商法解説」(有斐閣)62p)、事業の長期性などの考慮はこの制度には入っていない。

ちなみに、この制度をとらない松下電器などの取締役の任期は1年である。取締役の責任の明確化をはかり機動的な取締役会を構築するためには1年が妥当だという理由である。ともあれ、先のような理由にならないようなコメントを出すようでは、大会社に強制される制度ではないとはいえ、制度の導入に消極的であると疑われてもしようがないのではないか。この制度には保身だけをはかるイジマシイ取締役は早期に退場をねがうという効用もあるからである。
- 2003/07/01 -