改造

古いパソコンAと、ちょっと古いパソコンBがある。Aは650MBのCD/RWしか使えない。BはDVD/RWが使える。Aには巨大なファイルが数個ある。これをBに移したいのだが、1つのファイルが優に700MBを越すので、CD/RWに書き込んでBに移すという方法が使えない。メモリーカードも最大64MBしかない。他に特別のケーブルや装置もない。そういう貧弱な環境なのでそのまま放置していた。

しかし、これをパソコンBで使う必要が出てきたので、なんとか方法はないかと考えてみる。そういえば、大昔、Windows98時代に巨大ファイルをフロッピー用に分割するようなものを作ったことがあるのを思い出す。これを何とか改造できないか。分割のサイズをたとえば500MBぐらいにできれば、パソコンAで分割したものをそれぞれCD/RWに書き込み、それらをすべてBに移し、そこで復元・合体させることができるのではないか。げに、必要はプログラミングの母。さっそく、試してみよう。
- 2006/06/29 -


醤油かソースか

NHKのラジオを聴いていたら(基本的に「ながら族」)、目玉焼き、てんぷら、シューマイ、豚まんなどにどちらをかけるかというテーマをやっていた。古典的な飲み屋ネタではあるが、ついつい聴いてしまう(笑)。
個人的には、目玉焼き・てんぷらは醤油、たまにソースのときがある。シューマイは醤油。豚まんは何もつけない。だが、日本は広い。寿司にソースをつける人をはじめいろいろな人がいるものである。。。
- 2006/06/27 -


町の本屋

昔あったあの通りの本屋がいつのまにか消えていたという経験はよくある。「町の本屋、存亡の危機」というタイトルの記事が目に入る(朝日新聞2006/06/26)。新刊やベストセラーが入荷できないという事情などがあるにせよ、最大の理由は「客数の減少」であるという。それが、雑誌などの休刊(廃刊)にみられるように本の販売部数の減少につながり、さらに悪循環の繰り返しになる。

その代わりに、本を読まない者がインターネットの主役に躍り出てきたようである(笑)。インターネットに本の代用を求める傾向が顕著である。たとえば、

211.4.121.28 [24/Jun/2006:23:00:08] 艱難汝を玉にする 意味
220.216.109.105 [11/Jun/2006:23:45:16] 裁判官はなぜ誤るのかの本の解説
本の解説まで求めているのは大抵学校などのレポートに流用するためであろう(こういう人は元の本も読まないはずである)。以前のように本を読んでいろいろ調べたり考えたりすることは昔語りになりつつあるようである。これにちなんで、少し前の新聞に出ていた、本の検索についての記事を思い出す。

出版社から書籍の提供を受け、消費者が本の中身をキーワードで検索できる。(中略)。言葉を打ち込むと、その言葉を含む本とページの一覧が表示される。無料会員になれば、検索したページの前後数ページもパソコン画面上で実物同様に見られる。気に入れば販売サイトに飛び、ネット経由で実際の本を買える。
- 朝日新聞2006/05/11 -
しかし、ここに書かれているようなことは検索サイト側の論理であろう。本屋や出版社側からみれば、インターネットで検索している者の大半はその内容が「つまみ食い」できればそれでよく、あえて本を買うことはないというのが大勢の見方である。こういうことが行われれば本屋・出版社の大半は消滅してしまうであろう。本屋さんの置かれた環境の前途は険しいようであるが、本好きとしては、なんとかがんばってほしいものである。
- 2006/06/26 -


規制

相変わらず殺伐な事件が多いが、奈良で放火し母子3人を殺害した事件。少し前までは、被害者の名前や写真がマスコミに報道されていたが、この家の長男が放火したということが伝わったとたんに、すべて匿名報道に変わってしまった。このあたりのマスコミの報道規制要綱がどうなっているのかは知らないが、何かしら違和感を感じる。
- 2006/06/22 -


保険

保険と名前が付くところは公私を問わず詐欺的体質がしみついているようである。今度は三井住友海上で保険金の不払い問題が発覚したようである(朝日新聞2006/06/20)。保険と称して金を集めておいて、「その時」に支払わなければ「丸儲け」である。 健康情報の告知義務に違反したといいがかりをつけて保険金を払わない。これは保険会社の常套手口で、過去にも多数の先例がある。その他、客に無断で契約更新をする、契約者の意思を十分確認せずに受け取りを辞退したとみなしていたという。これは民間企業の場合は手軽に収益に直結する最短コースである。ところで、これらは社会保険庁の「分母減らし」の手口と妙に符合している。社保庁の場合は単に役人・役所の点数稼ぎにすぎないが、「丸儲け」の手口が年金支給開始を徐々に遅らせていくことで実現している点が違うぐらいである。両者は詐欺的要素をもっている点で本質的には共通する。官民あげて「保険」が保険になっていないというのは、なんとも住みにくい世の中になったようである。ふぅ。
- 2006/06/20 -


おじゃま虫

世界の「おじゃま虫」こと北朝鮮がまたまたテポドンを発射しそうだという。前回は確か発射後にニュースとして出たように思うが(不明確)、発射前に知るのもそれ以上に憂鬱である。ここから、「民はこれに由らしむべし、これを知らしむべからず」という「お上」に都合のいい発想が出てくる。しかし、この言葉は現在の彼我(北朝鮮と日本)の国情の相違を明確に象徴しているようでもある。。。その時は、日本海あたりに「池ポチャ」になることを願うばかり(笑)。

1) 民可使由之、不可使知之。人民は従わせることはできるが、その理由を知らせることはできない。論語(岩波文庫)110p。
- 2006/06/19 -


梅雨入り

毎年のことながら雨の降る季節になった。梅雨といえば田植えであるが、最近は田植え(その準備)をしているような水田はめっきり見かけなくなった。朝歩いていてザッと目に入ってきた田のうち、田植えモードに入っているのは5%ほどもない。一部は畑に利用されていたが、大半は草茫茫の荒れ地である。国の減反政策の異常さを再認識してしまう。農家によると、米を作らなければ政府から補助金が出る。その補助金で、苦労して米を作ったのと同量またはそれ以上の米が買える。転用、転売するときに整備するだけで、それ以外は放置しておいた方が楽なのだという(もう本来の農地としては使い物にならない)。

田植えはかつては村の共同作業であり神事でもあった。「近年ついに、田植機による機械化が始まって、早乙女や田植唄の情緒は完全に昔のものとなった1)」とはいうものの、以前はよく見かけた機械による田植さえももう付近では見られなくなってきたようである。田植と切り離された梅雨はただの「うっとおしい雨」でしかなく、季節感と情緒の喪失をもたらす(ように感じてしまう)。

1) 山本健吉「基本季語500」(講談社学術文庫)350p。
- 2006/06/12 -


モノ言う株主

最近の報道によると、ライブドアの旧経営陣も「モノ言う株主」こと村上ファンドに都合よく手玉にとられて食い物にされ、ニッポン放送株をうまく高値で売り抜けられていたようである。まさにキツネ(村上)とタヌキ(堀江)の化かしあいである。そのライブドアも、時価総額経営というもので自社の株価をつりあげておいて、それに提灯をつけた多数の投資家を食い物にした。その挙句の果てに両者とも証券市場から退場してしまった。しかし、村上某にしろ堀江某にしろ逮捕はされたが何百億の「あぶく銭」はつかんだままである。

そのライブドア相手に多数の損害賠償請求が起こされているという。この多数の投資家のうち、証取法に触れたという虚偽記載された有価証券報告書を直接見て、この株を買ったような者はいったいどれぐらいいるのだろうか。大半はテレビなどでLDや堀江某が派手に放送されていたことに触発されて、ムードで買っただけの単なる便乗株主であろう。過去、粉飾決算で倒産にまで至った会社は多数あるが、このような損害賠償が起こされたというようなことは記憶にない。しかし、株の世界の「だまし」の連鎖はつまるところ末端の株主にツケが回ってくる。そして、その彼らが「モノ言う株主」として蜂起したというべきであろう。しかし、勝ち抜くにはそのハードルはあまりにも高い(であろう)。
- 2006/06/10 -


エレベータ

エレベータにもおちおち乗れなくなったようである。それにしても、事故を起こしたエレベータの会社の社長が「事実が公表された時点で、シンドラーの名前が大きく報じられることはなくなると確信している。我々の製品及び保守が高い安全基準を満たしていると自負している」(読売新聞2006/06/07)というコメントほど、違和感を感じたものはない。すぐに謝る日本人、おいそれとは謝らない外国人、というパターン化された外国人像はまだまだ健在のようである。
- 2006/06/07 -


便利な制度

秋田の児童殺害事件もひとくぎりついたようである。車を乗り回し、公営の賃貸住宅とはいえかなり大きな一軒家に住んでいたあの犯人が生活保護を受けていたというのには驚く。折りしも悪の巣窟の社会保険庁の「分母減らし」という不祥事が発覚。まともに年金を払っていてもスズメの涙ほどの金額しか出ない。場合によっては今より減額されたうえ支給開始年齢さらに延長されるかもしれない。

それに比べて、何ら「年金額」を納めずとも30代前半にして生活保護で「豪遊」ができる。これなら、だれしも年金などは納めずに、生活保護を申請した方がいいと思ってしまうだろう。支払いはゼロで、しかもまともに年金を払った者の数倍の「支給」がある。こんな使いようによっては「便利」な制度があるのである。

社会保険庁は納めた年金は湯水の如く浪費し、この先まともに年金の支払いができるのかもわからない。こんな社保庁にわざわざ年金を納めようと思う方が異常だとおもわれても仕方がないほどである。年金の未納率が高いのもうなづけるような気がする。年金を納めないとトシとってから年金がもらえないよ、と社保庁に脅かされたら、タダでしかも年金よりはるかに有利な生活保護があるから安心だ、と言って居直るのもいいかもしれない(笑)。
- 2006/06/06 -


ケジメ

世間を騒がせた村上ファンド関連の事件もひとくぎりついたようである。どんな遠謀深慮があってのことかはわからないが、こういう事態を招いたからにはこの世界から手を引くことでケジメをつけるという。それはそれでいいとしよう。それにしても、同じように世間から疑惑をもたれていた和田某という画家の盗作騒ぎのケジメはなんともいただけない。この事件で役所の文化関係の審議会といわれるものの委員の無能さを全世界的に露呈してしまったわけである。この委員たちはどうケジメをつけるのであろうか。村上某などの「微罪」に比べると、盗作に国家的な最高権威まで付与してしまったことの方がはるかに「重罪」で国辱ものであろう。それとも知らぬ顔で、相変わらず「委員でござい」と居座り続けるのであろうか。かくして三流文化行政はとうとうと続くことになるのであろうか(笑)。
- 2006/06/05 -


骨董人種

嘆かわしい世相のネタはひとまずおいて、ヒマネタをひとつ。「旧制高校」「弊衣破帽」「寮歌」「南下軍」「旧制松本高校」「八高」「伊吹おろし」などのキーワード1)で検索エンジンから飛んでくるのが多くなったような気がする。こんな言葉を知っているとは、今や完全に絶滅危惧種の仲間入りであろう(笑)。高齢化社会の進展にともなって、このようなものにまだまだ未練(またはノスタルジア)を持つ御仁が多いとみえる。骨董人種花盛りというところである(笑)。

こういう種類の言葉を初めて聞いたのは、高校1年の国語の教科書に川端康成の「伊豆の踊り子」が出てきたときである。教師が、昔の高校生は今の高校生と全然違って超エリートの秀才ばかり、今のだれでも行ける高校生をイメージしないように2)、と言っていたのが最初だった。久米正雄の「受験生の手記」にも出てくるように、当時(戦前)は高校入試が極端に難しく、大学は高校生なら原則無試験で入れた時代である。

もっとも、若い人でもこの種の「歌」などに興味をもって歌ったりするようなことがあるようである。特に、昔からの古い建造物が残っているようなところでは、「伝統」としていまでも細々ながら生き延びているという。たとえば、北大の恵迪寮(けいてきりょう)などは少し前まで実際に学生寮として使われていたらしい。朝日新聞の北海道版などには「都ぞ弥生」の特集が出て、学生が歌っているというような記事が出たこともあった。

別にそういう時代に生きていたわけではないが、こういう種類の歌は学生の時などは酒を飲むと必ず放歌高吟していたものである。歌は友人のT君に教えてもらったものである。彼の高校4)では寮歌講習があってそれで覚えたという。おかげでわたしもナンバースクール3)を始めとして有名なところは今でも全曲覚えている。そのせいで端々にこういう歌の一節が出たりするという副作用も起こしている(笑)。

蛮カラの代表のような歌ばかりだが、中には恋の歌とまちがうようなものもある。「暁鐘寮5)送別歌」などは、説明なしに歌だけを聞けば誰もこれが寮歌だとは思わないだろう。
こういうことを書くと、またT君たちと酒酌み交わしたいものと思ってしまうのである(笑)。酒があれば単純に歌って騒げたあの頃がなつかしい(爆)。

1) これらの言葉は、snap2_0301.htmlやstaff.htmlなどの他にpm_??.htmlなどのファイルで少し使っているから、ヒットしても別に奇異なことではないのだが。
2) 最初は国立の5校が創立された。終戦間際には国公私立合わせて32校にまで増えたが、この時の学生数でさえ全部合わせてもわずか22000人程であった。
3) 校名に数字がついている高校。1高から8高まであった。
4) 旧制中学から続く伝統校では今でもファイヤーストームをすることが多く、その時に歌うことが多い。
5) ぎょうしょうりょう。旧制水戸高校。歌には筑波山、那珂川なども出てくる。

なつかしの寮歌集/暁鐘寮送別歌(全文)
- 2006/06/02 -